「お前ってそんなやつやったっけ?」
これは僕があらゆる場所で幾度となく言われてきた言葉である。君には周りから期待され、またそういう人間として認識されているキャラクターがあるのだから、その通りに行動していればよろしいというのだ。
このような言葉で、自身が勝手に抱いたにも関わらず、その期待に背く行為をとった他者、あるいはそれまでの行動からして予想していなかった行動を取った他者に対し、自身のイメージを押し付け、その通りに行動してくるように要請する人が、残念ながらこの世には一定数存在する。
我々人間には新しいもの好きな一面がありながらも、既知のものが新しい顔を見せることに関しては守旧的になる一面をもっている。これは長寿シリーズにおいて新顔が登場するとよく見られる現象であり、ガンダムシリーズやポケモンシリーズでは、「こんなのガンダムじゃない」「ポケモンらしくないデザインだ」といった具合だ。だが、長寿シリーズに新たな風を吹かせてコンテンツの存続を狙うには、革新的な取り組み、それまでのイメージの打破というのは必要不可欠なことであるし、また結局数年後にはお馴染みの顔になっているのだから、一旦拒否反応を示してからの受容というのは人間社会のお決まりであり、様式であるといえる。そう考えれば、先日(2026/02/27)発表されたポケモン新作の最初の3匹(いわゆる御三家)に対してはなかなか世間は好意的であるように思える。ちなみに僕は、ミブリーを最初のポケモンにすることに決めている。
閑話休題。人間の新しいもの好きながらも、既知のものには守旧的になる態度について、まず、新しいもの好きな傾向はどこから来るのだろうか。それは言わずもがな、食料獲得や生存率向上のためである。
進化の観点から見れば、人間が知識を渇望するのは不思議なことではない。周囲をより深く知ることで、生存の可能性が高まるからだ。
(中略)
周囲の環境を理解するほど、生き延びられる可能性が高まる——その結果、自然は人間に、新しい情報を探そうとする本能を与えた。この本能の裏にある脳内物質は何だろうか。もうおわかりだろう。そう、ドーパミンだ。アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』p71〜72
「本能を与えた」となっているが、より正確にいえば、「新しいものへより強く反応する個体が多くの子孫を残してその形質が次世代に継承されていった」ということになろうか。ともかく、我々人間には、周りから得られる新しい情報を常に求める習性がある。ドーパミンは新しい情報そのものよりも、「もしかしたら新しい何かを得られるかもしれない」という期待のほうに報酬を出す。その期待の報酬系をハックしてしまったのがSNSであり、スマートフォンである、というのはみなさんお分かりだろう(0021 意志の力をアテにしない—スマホとの付き合い方 参照)。このように、我々は、生存のために「新しいもの好き」なのはわかった。では、もう一方の「既存のものが新しい顔を見せることに守旧的になる」のはどうしてだろうか。いや、こちらも生存のためなのは間違いなかろうが、新しいもの好きな傾向とはどう違うのか。
人間も含めてあらゆる動物は、得をするより損を防ぐことに熱心である。
(中略)
損失回避は現状の変更を最小限にとどめようとする強い保守的な傾向であり、組織にも個人にも見受けられる。近所付き合いや結婚生活や職場で安定した状態が維持されるのは、こうした保守的な傾向が寄与していると言えよう。言うなれば損失回避は、私たちの生活を参照点(投稿者注:評価の基準となる現状や期待値、相場)にとどめおく重力のような存在である。ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(下) p.136〜137
参照点となる現状が変更される、というのはプラスの効果を発揮するかもしれないが、マイナスに転んでしまう可能性もある、ということで、人はこのマイナスに転んでしまう方向に強く反応してしまうのだ。このマイナスに強く反応するほうが、よりよく生き延びることができ、子孫を残すことができたのである(適者生存)。だから、その子孫である我々は、現状変更をなかなか受け入れられない。現状維持バイアスというものがここではたらくのだ。
これを人付き合いに当てはめると次のようになる。ある人において、これまで見られなかった新たな一面が見えたとき、それが自分に望ましいものである一面である、それを知ることができて嬉しい、というプラスの側面よりも、知らなかった一面が見えてしまうことによってそれまで抱いていたイメージが毀損されてしまうことへの恐れや、その一面を見てしまったがゆえに付き合い方の変更を迫られる……といったマイナスの側面に人は強く反応してしまうということだ。長々と書いてきたが、次の一言に集約される。要するに裏切られたような気持ちになるのが嫌なのである。
また、新しいものへの好奇心は期待からもたらされるものであるが、えてしてそれまで見えなかった新しい一面というのは、まったく期待していなかったところから不意打ち的にもたらされることが多く、これが人を混乱させてしまうのではないか、ともおもう。そうして「お前ってそんなやつやったっけ?」というセリフが飛び出すのだ。
僕はできるだけ、他人の新たな側面が見えたときには、それを面白がりたいとおもっているのだが、他人から見える自己をコントロールしたいとおもっている人にとっては、あまり望ましい態度ではないだろう。面白がるといっても、新たな一面を揶揄うためではなく、興味をもって接していきたい。まさに「funny」ではなく、「interesting」からきている好奇心なのだが、これは人間一般の傾向からは外れてしまっているのかもしれない。
僕に対して「お前って……」と言ってきた人々はたいてい、他人から見える自己をコントロールしようとしてきた人々であって、その他人から見える自己に沿って行動を律してきたからこそ、そのような生き方を破る人間に我慢がならないのだろうとも推察する。
あるいは、彼らの中には、自分以外の人間が意志も変化もなく、ただ決まったアルゴリズムに沿って行動するからくり人形とでもおもっている人もいるかもしれない。からくり人形は決まった通りに動くことしかできず、予想外の行動は飛び出さない。だから、予想外の行動をとったとき、激しく混乱し、激しく抵抗し、激しく攻撃するのだ。
久しぶりに会う人に対して、僕は「どう変化しているのか」に注目し、またそれを楽しみにしているのだが、どうやら「変わっていない」ことを期待している人もそれなりに多いようだ。会っていない期間中に起こったことを人は斟酌しない(し、できない)。まるでその空白期間がなかったかのようにおもって「変わっていない」ことを期待する。えてしてその期待は砕かれるのだが。僕は成人式の後の中学の同窓会でそれを強く印象づけられた。ああ、あの失望されたときの顔は今でも鮮明に思い出せる。しかしそれはある種の倒錯的快感を伴っていて、自分は周りが思うようなからくり人形ではないことをありありと理解し、またもう「あなたの知る僕ではない」ことを示すことができた体験として強く印象に残っているのだ。
関連百汁百菜
今回の一汁一菜

2026/01/20分
大根・大根菜・油揚げの味噌汁
大根の梅甘酢漬け
味噌きゅうり
やっぱり大根が多い。
参考文献
・アンデシュ・ハンセン(著) 久山葉子(訳)『スマホ脳』新潮新書
・ダニエル・カーネマン(著) 村井章子(訳)『ファスト&スロー』(下) ハヤカワNF文庫








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