歌舞伎の「見得」は不動明王や仁王像のポーズを取り入れたものであるといわれている。そのポーズのもとになったのはやはり鎌倉時代からの仏像であろう。飛鳥期に顕著だった、スラリと伸びた手足や胴が優美な曲線を描く仏像とも、白鳳〜天平期にあらわれた、豊満で官能的な肉感あふれる仏像ともちがう、筋骨隆々、力強く勇ましいダイナミックな仏像である。
飛鳥期の仏像はその手足、胴の長さと曲線美によって人間離れしている印象をあたえており、僕はとくに法隆寺にある百済観音像に強い感動を覚えたものである。このような長い手足で人間離れしたことを示す体型は『シン・ウルトラマン』への影響をおもわせたりもする。そもそもの成田亨のウルトラマンが「アルカイックスマイル」をたたえていたのだから、当然のなりゆきであろう。それが、白鳳〜天平期のグラマラスな体型を経て、鎌倉期になると、ダイナミックな筋肉質の体型へと変化していく。一目みると写実的で、筋肉質の男性ならありえそうな、リアルな体型におもえるが、よくよく見ると、これも人間離れしている。建築家・建築評論家の宮元健次は次のようにいう。
しかし、興福寺の仁王の力感みなぎる骨格や筋肉、浮き上がった血管を観察してみると、法隆寺同様、やはり実際の人体構造とはかなり異なることがわかる。
(中略)
ところが、日本では天平の時代から実際の人体とは異なる象徴表現をもって人体を造ってきたことになる。その姿勢は、より現実的な造形へと発展した五〇〇年後の鎌倉期に入ってもほとんど変わらないのである。変わらないというよりむしろ、部分的にはデフォルメがより強調されたふしがある。宮元健次『仏像は語る 何のために作られたのか』p.190〜192
さらに続けてこういった。
あの筋骨隆々、力感みなぎる興福寺の仁王像は、解剖学を全く無視して刻まれたのである。これは解剖学の知識がなかったわけではなく、あえて抽象への道をたどったといってよい。あの躍動感あふれる筋肉も、強靭この上ない骨格も、すべては人体の写実性を追求するためのものではなく、その運動性を視覚的に高めるための「表現」と割り切っているのである。あの強烈な気迫のこもった緊張感は、科学を離れた強調、省略によって生み出されたといってよい。科学を離れたからこそ、この仏像は「芸術」へと昇華したといえるだろう。
前掲書、p.192〜193
数年前、奈良国立博物館にある仏像館を訪れた際、鎌倉期につくられたとおもわれる仏像たちが、たいてい今でいう「見得」を切り、躍動感あふれる巧みなポージングで表情づけられているさまを見て、「今の日本のフィギュア文化の元はこれか!」とおもったものである。僕は現代のフィギュアを見るように鼻息荒く、また舐め回すようにあちこちから観察した。今も昔も同じようなものに人間は興奮していたのではないか。
以下は奈良国立博物館内でも撮影可能な仏像たちの写真である。僕が興奮した躍動感あふれる仏像たちがおしなべて撮影禁止だったのは残念であるが、以下の十二神将像は茶目っ気たっぷりで見ていて楽しげな気持ちになる。




むろん、仏像は信仰物であるから、仏師たちは仏像に信仰心を込め、尊敬、敬愛、崇拝されるように、立派につくるということは念頭においていたのだろう。だが、それ以上に楽しんでいたのではないか、ともおもわれた。「誰を題材にして、どんな場面で、どんな体型で、どんなポーズをつけて……」となどと仏師たちは半ば楽しみながら考えていたのではないか。また、自身の芸術性をぶつける場として発奮していたのではないか。そして、その仏像を見た者たちも、単に信仰心を抱くだけでなく、やはり見て楽しんでいたのではないか。ダイナミックな造形力に感嘆しつつ、想像力の翼を広げていたのではないか。今の僕らがフィギュアに向ける眼差しとまったく同じ、とはいわない。だが、その萌芽はここにあったのだろうと、僕はおもう。
怪獣やヒーロー、ロボットのフィギュアから、美少女フィギュアに至るまで、仏像で培われた技術とセンスが今でも活きているようにおもう。切り取るシーンの選出から、個性が際立つポージング、躍動感を演出するためになびく服や布の表現、そしてときに解剖学を無視してまでも外連味を重視した造形……。現代でも“仏像”たちは人々の生活に溶け込んでいる。
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今回の一汁一菜

2026/02/28分
ほぼカニの黒酢天津飯
ほぼカニとキャベツの中華スープ
関西の天津飯は甘酢あんではなく、醤油あんが多いのだが、たまには甘酢あんも食べたくなったので作った。餃子の王将でも言えば甘酢あんで作ってくれるらしいが……?
参考文献
・宮元健次『仏像は語る 何のために作られたのか』光文社新書
・山本陽子『はじめての日本美術史』山川出版社




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