0051 世界を切り取るレンズ

百汁百菜

※当サイトはアフィリエイト広告を使用しています

 春爛漫、桜は満開の公園で、桜をバックに自撮りをする若い女性の姿があった。桜と自身でけんを競っているのか、はたまた、自身を引き立てるバックとして桜をおいているのか……。僕はといえばまったくといっていいほど自撮りをしない。自分なんかよりもよっぽど優れた被写体が世の中にはたくさんあるとおもっているから、自分を写すというような選択肢が浮かんでこない。ただ、遺影が学生の頃の写真になってしまうような事態は避けたいから、どこかに行くたびに、誰かに撮ってもらっておいたほうがいいのかもしれない。

 さて、桜を眺めつつ写真など撮っていると、目で見たものと比べたとき、「これじゃない」というような、微妙な出来になっているということがよくある。目で見た桜の美しさが、画面の中にある桜には感じられない。ときどきうまくいって、「これだ!」という一枚が撮れたりもするが、それはだいたい構図が似ていて、お決まりのパターンばかりなのである。
 桜を撮るとき、遠くから桜の全体を撮るか、一部の枝に接近してピントを合わせたときはたいていうまく撮れた感じがする。ところが、半端に桜に近寄ってどこにもピントが合わない感じで撮ると、「これじゃない」という感じの一枚になってしまう。目で見たときは美しいとおもっているのに、それを写真に閉じ込めることができないもどかしさがある。こうしたことがあると、人間の目というのは非常に優れた、いや、人間にとって都合よくできたレンズなのだと思い知らされる。
 錯視にコロッと騙される(騙されているのは脳だが)愚かさがありながらも、美しいものを見るとき、見たいところだけを自動的に切り出してフォーカスし、そこから美を感じ取ることができるのは、人間の肉眼にしかできない芸当であり、優れていると言わざるをえない。写真で美を伝えるには、そもそも、どう世界を切り出すかというフレームをうまいこと整えないといけないが、人間の目はそれを自動的にやってのけ、注目しなくていいところには一切の注意を向けないでいられる。写真はそのところ、「真を写」してしまうので、見なくていいところまでも切り取ってしまう。これだけで、写真家というのはまことにむずかしい職業であることが察せられる。

 このところ、スマホのカメラ機能はAI補正で異様にコントラストを強調したり、潰れてしまっているところを適当なものでごまかしてしまうようなところがあり、最新スマホで撮った写真はもはや「写偽」ともいえるようなものになってしまっている。余計なお世話ばかりして技術力を誇ることしか考えていないからこうなるのだ。だが、我々の肉眼で見えている世界がそもそも「真」なのか、という話である。

川にいたサギを撮るために2.5倍ほどズームして撮った写真。光の反射部分がとても荒く補正されている。Google Pixel9で撮影。

 都合よく世界を切り取る我々の肉眼は、決して世界をありのままに見ていない。錯視にコロッと騙されているぐらいなのだ。矢印の向きで線の長さを見誤り、動いてもいない模様が動いて見える。また、両の眼でも景色の色味が違って見えるようなことだってあるし、色の見え方は人によって様々なのだ。とくに男性諸氏はこのような違いに直面しやすいだろう。
 客観的な視点をもたらしているように見える写真ですら、それを見る人の主観から逃れえない。もはや完全な客観性などなく、そこには「間主観性」しかないフッサールはいった。ならばと、どれだけ言葉を尽くして風景を説明してみせても、そこにあるのは各人が思い浮かべる世界である。ウィトゲンシュタインが空想してみせた「究極の言語」をもたない我々は、写真に対して、「現実の像として確からしいものである」以上のことは言えないのではないか。

 僕は最近、この目で見た美しい風景は写真に残さないほうがいいのではないかとさえ思い始めている。カメラを向けたとたん、「何か」が失われてしまったような気になる。そのときに感じた美しさが保存可能に思えた瞬間、精彩を欠いてしまうような気がしてしまうのだ。ベンヤミンふうにいえば、「アウラ」が消えたように感じられるといってもいいだろうか。
 それに、後から見返したとき、この目で見た美しさというものが、写真に収めたものの記憶にすり替わってしまうような思いをしたこともある。一目見て、「これはうまく撮れそうにない」とおもったら、もう撮らないというのもひとつの選択である。自分の目によって都合よく、そして巧く切り取られた美を堪能する力がわれわれにはある。携帯・スマホの普及で、みんながみんな写真を撮れるようになってしまった中、写真家の仕事に任せるべきところがあると僕はおもう。

関連百汁百菜

今回の一汁一菜

2026/02/26分

子どもキャベツ・落とし玉子の味噌汁
味付めかぶ
わさび椎茸の佃煮

キャベツは収穫後、茎を残しておくと小さなキャベツが再生してくることがある。その小さなキャベツはこのシーズンだけでも一つの茎から7〜8個収穫できた。

参考文献

・古田徹也『シリーズ世界の思想 ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』角川選書

コメント

タイトルとURLをコピーしました