誰にでも、今日からでも始められる一汁一菜だけど、いざ継続となれば、腹八分目でも平気で、満腹じゃないほうが心地よいと感じる人のほうが続けやすいと思われる。「今日はこんなもんでいいか」と食事にスパッとけじめをつけて、自分の時間を確保する。そのための一汁一菜でもあるのだから、前後の時間に響いてしまうような食事のとりかたでは意味がない。僕は基本的に一汁一菜は夕食にしているが、満腹にしないことによって、夜の時間を快適に過ごせるようになった。
まず、満腹にしてしまうとすぐ眠くなってしまうし、座っているだけでもなんだか腹が重く、本を読むにも集中できない。それどころか、何かをしようとする気すら起こらなくなる。で、僕にとってはこちらのほうが大事なのだが、満腹にしないでおいたほうが、ゲームをしても気持ち悪くならずに済むのだ。最近のゲームは3Dでカメラがグリグリ動くから、満腹状態で画面を見ていると気持ち悪くなってくる。娯楽にも満腹でないことが活きている。
あとは寝るだけなのだから、夜にたっぷり食べるのは理にかなっていないとも思うし、翌朝、しっかりお腹が空いた状態で目覚めることができるのはなかなか清々しい。
身体をしっかり動かす仕事の人はもちろんたくさん食べた方がいいが、僕のように、1アールの小さな畑を耕すのと、ポケモンGOをするためにちょっと散歩するぐらいしか動かない人間が毎食のように満腹にしていればもちろん肥えていく。ならば、一番手っ取り早く「満腹にしない」ことで太るのを防げばいいと思ったのだ。そうして満腹にしないことを心がけた結果、もはや満腹であることのほうに不快感を覚えるように逆転したし、もちろん身体もすっかり軽くなった。
よくよく考えてみれば、僕は運動してまで美味しいもの、高カロリーなものを食べたいと思っていない。ひとえに僕はナマケモノなのであり、ガンガン働いてガンガン稼ぐよりもとにかく寝ていたいし、モテるための努力よりも一人静かに本を読みたい。そう、「満腹にしないほうが心地よい」というのも一汁一菜が続く要因だが、「怠け者気質」というのも、一汁一菜が続く要因の一つではないかと思われる。
一汁一菜を続けるにあたって、僕はなんの努力もしていないし、かといって我慢もしていない。一汁一菜以外に食べたいものがあるなら、それは昼食とか、会食のときに食べておく。そもそも食べたいものがあんまりないから、一日一回の自由な食事のチャンスだけで十分なのである。それすら考えるのが面倒になって一汁一菜、ということもある。これからの人生、何事もなければあと30年以上続いてしまうだろうが、ずっと一汁一菜で食事をとっているような気がする。
限りある人生の食事のチャンスだから一食たりとも無駄にできない!とあれこれ選んで食べたいと考えるのも理解はするが、共感はしない。死ぬ間際になっても僕はうわごとのように「ご飯……味噌汁……」と口にしているだろう。ま、それは話盛ったかな。
とりあえず、一汁一菜は量を自在に変化できるから、ちょっと今日は腹が減っているというときは一人で2杯分以上作ればいいし、あんまり腹が減ってないときには1杯だけサッと作ることもできる。しなやかに自分の腹の具合と相談できるのが強みなのだ。そうやって腹の虫とのうまい付き合い方を見つけていけば一汁一菜は続いていくだろう。「今日は」食事を考えるのが面倒だから……と緊急避難的、スポット的にやるのもいいけど、続けていくと自分がいかに多くのものを手放せずにいたかを実感できるんじゃないかな。
そして僕はナマケモノならばナマケモノらしく、欲をかかずに己の足るところを知って過ごしていくのだ。
今日の一汁一菜

2025/12/03分
ナス・ほうれん草・油揚げの味噌汁
大根菜とベーコンの炒め物
ゆず大根・椎茸の佃煮
畑の大根から大根菜が大量に採れたのでこの日も食べている。しかし、20本分以上もあってさすがに食べきれないので、畑に還したものもある。
ゆがいて刻んで冷凍しておいたものを、この後ちびちび食べていくことになる。
参考文献
・野村茂夫『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 老子・荘子』角川ソフィア文庫




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