いつ買ったかすっかり忘れてしまったが、奥付にある発行日を見る限り、10年前には買っていたであろう小説を今の今まで積んでしまっていた。それが『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(富野由悠季 著 KADOKAWA 刊)である。おのれの怠惰ゆえか、ずっと積んでしまっていたのだが、2026年1月30日公開の映画第二部『キルケーの魔女』公開のタイミングでついに繙くことにした。
※ネタバレ注意!
以後、劇場版『キルケーの魔女』のネタバレをわずかに含みます。なぜ積読を繙く気になったのか
5年前に劇場版第一部が公開された『閃光のハサウェイ』は劇場でも鑑賞したし、サブスクでも見放題となっているから、内容は覚えているだろうと、特に準備をせずに第二部『キルケーの魔女』の劇場へ足を運んでしまったのだが、人名・地名の固有名詞の乱舞にすっかり目を回してしまい、事件の進行をつかみ損ねてしまったことが、積んでいた『閃光のハサウェイ』を繙く気にさせたのだ。
キンバレー、オエンベリ、クワック・サルヴァー、コワンチョウ、ダーウィン……これらの固有名詞の意味をつかみ損ねたまま、各軍勢が策を巡らせながら行動を起こしていくさまを、ボーッと眺めるしかなかったのである。あのかぼちゃマスクが、(もろにチェ・ゲバラである)ファビオ率いるオエンベリ軍の一員だったことに気づいたのは鑑賞後であったほどの体たらくである。
そんなことだから、人物描写も満足いくまで鑑賞できたとはいえないだろう。ギギがなぜホンコンでインテリア・コーディネートをしていたのか、そして、そこを去ってケネスのもとへ戻り、さらには……というのもすぐには理解できなかった。もうこれは、原作にあたって情報を整理するしかあるまい。十全に『キルケーの魔女』を楽しめなかったという思いがそうさせたのである。
『閃光のハサウェイ』を繙くその前に
しかし、ここで立ち上がる問題が、劇場版『閃光のハサウェイ』は劇場版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(以後逆シャア)』の続編であり、小説版『閃光のハサウェイ』は富野由悠季が書き下ろした小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(以後ベルチル)』の続編である、という点である。周知のことであろうが、『ベルチル』では、ハサウェイが直接、初恋の少女クェスを手にかけてしまうのに対し、『逆シャア』では、クェスはアムロ・レイの恋人たるチェーンによって撃墜され、それに激昂したハサウェイはそのチェーンを手にかけてしまうのである。その差は劇場版『キルケーの魔女』にて、より顕在化したため、小説版『閃光のハサウェイ』を読む前に、『ベルチル』を読む必要はさらに強まったといえる。そしてこの『ベルチル』を先に読まねばならない、というのが、今の今まで小説版『閃光のハサウェイ』を積んでしまっていた原因であったことを思い出した。
よくわかっていなかった『逆襲のシャア』
だが、四の五の言っていられない。腹を括って『ベルチル』からとりかかったのである。よく悪文だと言われる富野の文章だが、全編が流麗であるとはいえないものの、確かに読ませてくるところがあり、言うほど悪くないどころか、地の文に出てくる富野の考えに触れることができて、僕としては興奮のままに1日で読み終え、その勢いで劇場版『逆シャア』もサブスクで鑑賞した。
『ベルチル』を読んでいると、僕はまったく『逆シャア』で起きていた事件を理解していなかったことが鮮明となり、『ハサウェイ』の前哨戦のつもりが、大きな収穫を得たのだ。『逆シャア』の物語の裏で動いていた政争、謀略の数々は、この小説『ベルチル』を読むまで全く理解していなかったといっていい。
中学生のときに出会い、5〜6回は観たはずの『逆シャア』であったのに、というショックは大きかったが、事件の進行、軍の動きが頭に入った状態で観る『逆シャア』は、かえってクリアに人物描写・戦闘描写に集中させてくれて、これまでにない『逆シャア』視聴体験であった。もしまだ『ベルチル』を読んでいないのであれば、、読むことを強く薦める。細部の違いはあれど、『逆シャア』理解の補助線となり、補完となり、深化につながる一冊である。
『閃光のハサウェイ』IMAX版鑑賞に向けて
そうして小説版『閃光のハサウェイ』にとりかかるのだが、その前に車で1時間ほどの劇場で、より高精細、上質な音響で鑑賞できるIMAX版を上映していることを知ったので、その鑑賞の予約を入れておいた。すべては『キルケーの魔女』を十全に楽しむため……。初日に鑑賞した劇場では、前作からも問題視されていた画面の暗さで、夜間〜明け方の戦闘描写がまるで理解できなかったのである。
こうやっておのれを発奮させつつ、小説版を読み始めたが、驚くほどに原作のエッセンスが劇場版にも残っていたことに気づかされる。印象的な台詞の数々が原作そのまま、あるいは多少の改変で保存されていたほか、小説では地の文だったものを、劇場版では台詞に昇華させてキャラクターに語らせるといった、媒体の違いがみせる演出方法の違いに、尽きることのない感興をもよおしたものであった。
こうして上巻、中巻をそれぞれ1日で読み終えて、これまたサブスクで劇場版第一部を鑑賞したのち、IMAX版鑑賞へ向かったのである。
IMAX版でようやくスタート地点?
結論からいえば、『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は、できるならIMAX版で鑑賞することをおすすめする。夜間〜明け方の画面でもクリアに見えるから戦闘描写の理解のしやすさが段違いである。暗い画面で見る、わけのわからないまま振り回されている感覚も面白いといえば面白いが、やっぱり『ガンダム』はロボットチャンバラである。せっかく凝った演出をしているのだから、しっかりくっきり観たいところである。これをIMAXではしっかり確認できた。
そして、何と言っても音響が素晴らしい。敵味方問わずファンネル・ミサイルを多用する作品だから、その爆発音がいちいち腹に響くのが興奮を呼ぶし、ギギがメイスを追い出す際に放った「例の台詞」のリップ音もしっかり聞き取ることができる。
すっかりキャラクターと各軍勢の動きを理解した上で、さらに高精細な画面で見るIMAX版はこれまでの映画体験のなかでも屈指のものであった。Xで指摘されていた、革靴の汚れもバッチリ確認してきた。この映画、とにかく凝りすぎである。そりゃあ、第一部から第二部まで5年空くわな……ただ、第三部も5年は待っていられないので、できれば3年後ぐらいにはお目にかかりたいものである。でないと、また5年待たされたら、四捨五入して40代になってしまう……
と、IMAX版の素晴らしさを体感したうえで言うが、IMAX版でようやくまともに暗所が観られるようになっているのはどうかと思わないでもない。追加料金(僕が観たところでは700円)はまだしも、IMAXを上映している映画館の少ないことよ。車、ないしは電車で1時間のところに劇場があった僕は全然恵まれているだろう。体験格差、文化資本の格差が生まれてしまっているとは感じる。まぁ、次の第三部は日中の戦闘だから大丈夫か……?
『閃光のハサウェイ』に関してはまだまだ語りたいことが出てきた。これ以上は長くなるので次回に持ち越すことにする。
今回の一汁一菜

2025/12/17分
大根・大根菜・油揚げの味噌汁
大根の醤油漬け
前回(0011 大根の漬物のゆくえ)で漬けた大根の醤油漬けと大根の味噌汁……大根ばかり食べているが、本当によく収穫できたゆえである。大根の醤油漬けは、この時はまだまだ漬かりが浅い。こなれた味になるまでは1週間ぐらいかかった。





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