世界で一番有名なネズミは?といえば、ミッキーマウスだろうけど、世界で二番目に有名なネズミはピカチュウだろう。しかし、それが逆転するのも時間の問題か。
ポケモンは文字通り現実に飛び出し、あなたのすぐそばにいる。手元のスマートフォンで『ポケモンGO』を起動すれば身近にポケモンが棲んでいるように思えてくるし、ポケモンのぬいぐるみはパートナーのようにあなたに寄り添ってくれる。古くからあるパンやカレーやカップ麺のパッケージにはポケモンが描かれ、身につける服、アクセサリー、バッグにもポケモンのモチーフが登場する。なによりも、ミッキーマウスは世界に一人(ということにしておこう)で、代えの効かないアイドル的な存在である一方で、ピカチュウは「種族名」だから、たくさんいる。様々な媒体で出会うピカチュウが「あなたのピカチュウ」になりうるのだ。この、あなたの日常にぐっと距離を詰めて迫ってくる勢いが、ポケモンに比肩しうるコンテンツはなかなかないだろう。世界一有名なネズミがピカチュウになる日も近い。
ゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター赤・緑(以後初代赤緑)』を嚆矢とする「ポケモン」がついに今日、2026年2月27日で30周年を迎えた。1996年の2月27日に発売された『初代赤緑』だが、僕はその3ヶ月前に生まれているから、完全にポケモンと同時代を歩んできたポケモン・ネイティブともいえる世代なのだ。この世代は、まさにポケモンを避けては生きていけない30年だったといえる。
仮に『ポケモン』のゲームをプレイしていなくても、友達が持ち込んだ携帯ゲーム機によってそのプレイを目にすることもあれば、アニメもあったから、ポケモン自体ににアクセスするのは容易だった。自らアクセスしようとしなくても、前述のパンやカップ麺、アパレルに加え、文房具や子供用カトラリーにもポケモンが満ち溢れていたから、他人が使っている何かしらには常にポケモンが存在しており、完全に避けて通ることは不可能のコンテンツだったといえるだろう。

そんな僕も当然ポケモンに触れており、ポケモンパンについていたシールやふりかけのおまけのカードなんかを持っていたような気がする(今も掘り出せば多分出てくる)。アニメは『アドバンスジェネレーション(2002〜2006)』の頃に一番熱中して観ていたような記憶があるのだが、ゲームへのデビューは同世代に比べてかなり遅れてしまい、12歳の誕生日に『ポケットモンスター ダイヤモンド』を買ってもらって、ようやく「自分のポケモン」を育てることができるようになった。
やっぱりポケモンは友達とやるゲームである。ずっとポケモンのゲームを持っておらず、その輪になかなか入れなくて歯噛みした思い出はたくさんあるが、『ダイヤモンド』以降は近所の友人と対戦、交換で大いに盛り上がった。ゲームありきの関係性というのに問題を感じなくはないが、やっぱりあったらあったで、ともに遊んだ思い出は深く刻まれるものである。
ただ、中学に入って、まだこの頃にはあった「ポケモンは子供のゲーム」という印象から、周りはどんどん離れていった。僕も例に漏れず……と言いたかったところだが、友人が『ハートゴールド・ソウルシルバー』を買って遊んでいるのを見て、僕もお年玉をはたいて買ってみたら、やっぱり面白い。しかも、これは後に名作として時代とともに名を上げてゆき、今では中古価格が当時の定価以上になっているから、本当に遊んでおいてよかったと思う。
高校になると、また一時的にやめてしまっていたのだが、『ブラック2・ホワイト2』を友達に勧められて買ったら、これにもとんでもなくハマってしまい、誘ってきた友人を上回るほどにやり込んだ。それに、高校生になると、ある種の開き直りというのが出てきて、また、他人のやっていることにだんだん干渉しなくなっていく年頃だったから、堂々とプレイしていた。
『ブラック2・ホワイト2』でその面白さに完全に味を占めた僕は、以後の『ポケットモンスター』シリーズは今に至るまで全ての世代を購入している。大抵2バージョン同時発売だが、ゲーム機を2台用意して一人で2つ遊ぶほどのめり込んだ。そして、大学生の頃には暇だったのと、「これだけポケモン遊んでたら、全国図鑑完成するんじゃないか?」と思って、全てのポケモンを集めたりした。当時で720種程度、2026年2月の今では1025種類を数えるポケモンだが、大学時代に一度集めてしまった以上やめられなくなり、新作が出る度に図鑑を完成させ、1025種類、全てのポケモンを所持している。



初代の151種類からは隔世の感があるものだが、さすがに増やしすぎたのか、リージョンフォームという、同じ名前のポケモンなのに姿が違い、また生態が違うポケモンが登場するようになった。また、一部のポケモンに対し、最終進化を超えたさらなる進化、「メガシンカ」が与えられ、バトル中に限って新たな姿を獲得するようになった。これには、もうポケモンを縦に伸ばす=種類を増やすのは限界だから、既存の豊富なポケモンたちを活かして横に展開しようという意図が見える。


そして、いわゆる「本編」と呼ばれる『ポケットモンスター』シリーズのゲームにおいて、1つのソフトに全てのポケモンが登場するということはなくなった。ソフトごとに選抜されたポケモンが「この地方には棲息している」という設定で登場する。これは2019年発売の『ポケットモンスターソード・シールド』に始まり、大きな衝撃と賛否両論(ほぼ否だったと思うが……)を呼んだ。確かにもうポケモンが多すぎるから、一つのゲームに全てを入れられないのはわかる。しかし、プレイヤーそれぞれに好きなポケモンがいるし、また、ポケモンは文字通り「世代」を超えて連れてこれるシステムになっているのだから、思い出の詰まったポケモンが最新作に連れてこれなくなる可能性があるというのはポケモントレーナーたちに大きな不安感と不信感を抱かせてしまった。
これ以降、ポケモンのゲームにおいて、全てのポケモンをひとつのゲームに集約させるというよりも、ポケモンの特徴や生態をいかした活躍場所に振り分けて登場させる、という方向性になったといえる。本編『ポケットモンスター』シリーズだけでなく、パズルゲームやチーム戦略バトル、睡眠チェックアプリ、はたまたポケモンの写真を撮るゲームなど、さまざまな派生ゲームにおいて、そのゲーム性とポケモンの生態がフィットするものを選定して登場させるようになったと、外からポケモンのコンテンツを見ていておもう。

ポケモンの種類も増えたが、ポケモンというコンテンツの展開も広がり、間口は広くなる一方である。そこには、2010年代を『妖怪ウォッチ』に席巻され、話題性を奪われたトラウマがあるに違いない。長年ポケモンが務めてきたマクドのカレンダーを妖怪ウォッチに取られたりもした。二度とそのようなことにはしまいと、アニメとゲーム、カードだけでなく、ポケモンそのものを日常に溶け込ませて、生活に欠かせない存在へと昇華させようというねらいからか、2010年代後半からはコンテンツ展開に磨きと勢いがかかった。
『ポケモンGO』は社会現象になり、一時社会問題化するほどのブームとなった。スマートフォンさえあれば誰もが身近に棲むポケモンを捕まえられるのと、歩く距離によってさまざまなボーナスを得られることから、中高年層を取り込むことに成功した。ゲーム性も単純化され、もはやタイプ相性を知らなくてもポチポチするだけで誰でも楽しめるようになった。うちの父も全くタイプ相性を覚えていないので強力なポケモンと相対するときは、いつも僕に聞いてきたりする。
自治体とのコラボも見逃せない。県公認キャラクター化したうえで地域とコラボしたグッズを展開するにとどまらず、公園や電車のラッピング、そしてマンホールのフタに至るまで、様々なところにポケモンが顔を出す。しかも、安直にピカチュウばかり出すのではなく、地域性に沿ったポケモンがタッグを組んでいるのは心憎い。香川県の「ヤドン」と「うどん」の語感をひっかけただけのコラボに最初はずっこけたが、ヤドン自体の人気もあってか、今では香川に行けばヤドンを見ずに帰るのは不可能なのではないかというほど浸透している。
ポケモンのグッズ展開もその攻勢を強めている。僕はあまり買わないのでわからないが、日常的に身につけるものから、ポケモンの生態を活かしたコンセプトグッズなど、魅力的な商品が揃っている。もはや、本編『ポケットモンスター』シリーズを遊んでいないポケモンファンというのもたくさんいるだろう。大人になってもポケモンを好きになってよい、という土壌が整えられているのだ。そして、ポケモンのコンテンツ展開において、むしろ、本編『ポケットモンスター』シリーズが一番足を引っ張っているという声もある。

2021年発売の『ポケットモンスター ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』は、まさに僕が最初に遊んだ『ダイヤモンド』のリメイク作品であり、大いに期待していたのだが、そのあまりにも「まんま」な移植度には頭を抱えた。今風になった『ダイヤモンド』を遊びたかったのに、当時の雰囲気「まんま」の2頭身キャラや、四角いマップ、こなれているとはいえないUIに、正直落胆した。続いて2022年発売の『スカーレット・バイオレット』では、そもそもゲームが満足に動かない、フリーズする、バグが多いと、ポケモンでなければとても許されないような初期クオリティであり、ゲーム内で繰り広げられるストーリーは大いに評価できるものの、ゲームの操作面で評価を下げ、ポケモンブランドのゲームに対する不安感が増大した。その後、度重なるアップデートや、Nintendo Switch2の発売に対応したことで、ようやくまともに遊べるようになったが、それは発売から2年以上経過しての話である。
2025年発売の『Pokémon LEGENDS Z-A(ポケモンレジェンズゼットエー)』では悲しいすれ違いが起きている。インターネットに接続して(見知らぬ人とランダムにマッチングし)対戦した報酬として、メガストーン(特定のポケモンを「メガシンカ」させるのに不可欠な道具)を配布しているのだが、それはインターネットに繋がない状態の、通常のプレイでは手に入らないのである。しかも、人気なポケモンのメガシンカに欠かせないメガストーンであったから、普段対戦をしない人、そもそも対人ゲームが苦手な人、「ポケモンを対戦のために育てる」ことに忌避感のある人……さまざまな層から非難の声が相次いだ。

Nintendo Switchシリーズでは、インターネット接続して他人と通信プレイするには、有料の「Nintendo Switch Online」への加入が必要であり、任天堂は『ポケモン』というキラーコンテンツにその加入者を増やすミッションを課していたのだろうとは推察する。とはいえそもそも、元来、ポケモンとは交換したり、対戦するゲームである。一人で遊ぶゲームではなく、友達とワイワイするゲームなのであるからして、他人との関わりが不可欠であり、またその他人との関わりに飛び出すことを助けてくれるゲームなのだ。
ポケモンの間口が広がった影響もあるのか、そういったポケモンのオリジンにある理念に共感を持たないままプレイする層も取り込んでいったのだろう。それがこのような悲しいすれ違いを生んだともいえる。もはや、ポケモンの本編シリーズが、そのコンテンツの巨大さを受け止めきれなくなっている。ポケモンにおいて、そのファン全てを満足させるゲームはもう作れないのだろうか。
ポケモンというコンテンツはもう盤石で崩れようがない。ポケモンの権利を統括する株式会社ポケモンの業績は右肩上がりでとどまることを知らない。グッズもカードも好調で、たまに大阪に行った時、ポケモンセンターオーサカの前をちらっと通ると、平日にも関わらず、100人以上のレジ待ち列である。次の10年といわず、20年は大丈夫なのではないか。先輩たるウルトラマンは60年、仮面ライダーは55年、スーパー戦隊も50年やった。ポケモンもそれぐらい余裕でいけるだろう。
ただ、気掛かりなのはゲームである。派生ゲーム、とくにスマホゲームは盤石だろうが、やはり僕は本編『ポケットモンスター』シリーズが好きであり、またやはりポケモンのコンテンツ展開の一番槍は本編ゲームなのだ。もうグッズやリアル進出で売っていけるから……とならずに次こそビシっと決めてほしい。今夜は「Pokémon Presents 2026.2.27」であり、世界中から期待が寄せられている。おそらく完全新作が発表されるだろう。まだまだポケモンとの付き合いは続いていく。
今回の一汁一菜

2026/01/19分
里芋と鶏むねのシチュー
大根の梅甘酢漬け
シチューはルーを使わなくてもいいことにようやく気づいた。



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