いわゆる「性格診断」によって知らなかった自分の一面を知る、という経験は多くの人がしているのではないだろうか。いくら外向的な人でも、「自分がどういう人間か」というのは知っていたいはずだから、こういうのは内向的な人だけがやるものではない。大人だと合コンなどの飲みの場や、学生だとクラス替えなどがあって、初対面の人と顔を合わせると、とりあえず話題作りの一環として性格診断をやったりもするだろう。
このような性格診断的なものは古くからある。古代ギリシャの四体液説では、人間の4つの体液のバランスによって性格に影響が及ぶとされており、黄胆汁質・黒胆汁質・多血質・粘液質の4つの性格タイプで構成された「四気質」の性格分類へと、時代を追って理論づけられていった。これは今となっては使われなくなっているが、ともに古くからありながらも、いまだ星の配置から運命を導くと謳う占星術は現役であるし、また最近では、一部の血液型(とくにB型)からは評判の悪い血液型診断、そして流行りの、いくつかの質問への回答をもとに16種類の性格類型に分類するMBTI診断等々、人の「自分がどんな人間か」を知りたい欲求(そして、分類して型に当てはめたい欲求)に応えるべく、様々な性格診断が生まれている。自分でその内容を受け止めて、その通りの自分として生きるもよし、いや、こんなのアテにならんと突っぱねて生きるもよし、自分の身の処し方を考えるのに使うのは自由にすればいいが、他人にレッテルを貼るために使うことは厳に慎まれたい。
だが、往々にして性格診断は他人のレッテル貼りに使われてしまう。これはもう、人間の諸相を単純化し、型に当てはめて思考リソースを節約したい人間の脳が抱えている傾向であるからして、もうどうしようもない。人の世が続く限り、この手のものは生まれ続けるだろう。僕は性格診断系のものでは割を食ってきている側の人間だが、これに関してはもう諦めるほかないとおもっている。
性格診断で示されるのは、これまで知らなかったはずの自分の一面であることも多いが、なぜそれまで知りもしなかった自分の一面に納得できてしまうのだろう。その一方で、質問に答えたわけでもなんでもない血液型性格診断のようなものであっても、どうして「これは自分のことを言っているんだ」とおもえるのだろう。このメカニズムの解明には、占い師やマジシャンが使うテクニックである、「コールド・リーディング」の知識が役に立つ。
「虹色の戦略」というテクニックがある。これを使えば、人の性格に関して、洞察に満ちた深いことを言っているように見せかけることができる。たとえば、「あなたはとても大胆にふるまうこともある一方で、ときにものすごく慎重にことを運ぶ傾向があります」といった、正反対の性格、行動の傾向を並べて述べるテクニックである。人間の行動のあらゆる側面を包摂し、さも人生の深みを知っているかのような印象を与えるが、これは実際のところ、なにも言っていないに等しい。人の行動が常に一定で、同じ傾向を示し続けるわけがない。高速道路では派手に飛ばすような人でも、首の座っていない我が子を抱っこするとなれば、慎重になるかもしれない。誰しも、時と場合によって正反対の行動を起こすことがあるのだ。だが、「性格診断」と銘打たれてこのような文章をしげしげと眺めているうちに、「そんな気がするなあ」とおもえてくるものである。誰しも物事の両面を備えているし、相反する感情を同時に抱く、アンビバレンスな状態に陥ることもある。だから、「虹色の戦略」で示されるのは、ごく当たり前のことなのである。
似たようなものとして、「バーナム・ステートメント」というテクニックもある。これは、大多数が「自分のこと」だと思う一般的な事柄をそれっぽくいうのである。たとえば、「あなたは人に好かれたいと思っています」だとか、「あなたには夢があるけれど、失敗を恐れるあまり進められずにいる領域があります」だとか。こんなのだいたいの人がそうだ。これもなにも言っていないに等しい。だがここで、大多数が「こういう自分でありたい」という、自身を美化したい欲求や、背伸びしたい欲求を突いてくることもある。「あなたは思いやりがあって、周りに気を遣うことのできる人です」といったふうにいわれて、嬉しくない人はいるだろうか。こうして、「この性格診断は自分のことを言っている」とますます信頼していくのだ。
ほかにもテクニックはある。「細やかな褒め言葉」を随所に差し込み、「あなたは周囲よりも△△が優れている」などといって気分をよくするようはたらきかけてくることもあるし、「ジェイクイーズ・ステートメント」といって、誰にでも当てはまる人生の課題について述べるのもまた一つのテクニックである。この際、各性格傾向に合わせて若干のアレンジを加えれば、無限にバリエーションを作ることができる。たとえば、ある性格特性の場合は「あなたのその冷淡に見えてしまう部分が、周囲との軋轢を生んでしまうかもしれません」となり、また別の性格特性の場合は「あなたの周囲と調和を重んじる傾向が仕事の速度を落としてしまい、かえって周囲との軋轢を生んでしまうかもしれません」などといったふうになる。誰であっても人間関係の軋轢は起こるし、人間関係がもとで起こる負担はのしかかってくる。
このように、人間誰しも持っている性格の一部や、一般的な傾向を「性格診断」としてパッケージ化されて見せられると、人は知らなかった自分に出会えたような気になったり、また、「これは自分のことを言い当てている」という気になってしまう。人には当たっていることを強く記憶し、外れたことを忘れやすい傾向がある。「これだけ当たっているのだから、ちょっとぐらい外れていたって気にしない」というわけだ。また、人は「あなたにはこういう経験はありませんか……」と問われたことを、わざわざ自分の深い記憶の中から探し出して「確かにそうだ」と納得してしまうこともある。それまでずっと眠っていて、意識していなかったことを急に突きつけられたような気になれば「これは当たっている」となって、その性格診断への信頼はいや増すばかりであろう。
もはやこうなっては性格診断のほうに自分を合わせていくような作業になっているといえる。読者、被験者の側から好意的に集まってくるのをいいことにやりたい放題ではないか!と、ここで吠えても仕方ない。この類のものが尽きないのは、自分で自身を知るということが、いかにつかみどころがなく、深遠で、また孤独なのかを物語っているのだ。なんの指針もなく夜の海に繰り出すような人間はいまい。性格診断はその計器となり、灯台となり、北極星となってくれるのだから手放すことはできないし、頼らざるを得ないのだ。
だが、もし診断結果に納得がいかなかったとしても、それに合わせて自分を形作ろうだなんておもわないほうがいいだろう。たった数分で答えられる質問で、これまでの人生がわかると思うな!と跳ねつけてやってもいい。どうせこの手のものはなくならないのだから、いいところだけ吸い取って、あとは捨ててしまう、都合のいい利用法で付き合っていけばいい。
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今回の一汁一菜

2026/02/20分
ほうれん草・トマト・油揚げの味噌汁
野沢菜漬け刻み
参考文献
・イアン・ローランド(著)・福岡洋一(訳)『コールド・リーディング 人の心を一瞬でつかむ技術』楽工社






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