4回前(0082 夏は5時起き、冬は9時起き)に、朝が暑くなってきてだんだん5時起きに近づいてきたと書いたばかりなのに、朝が寒くなってしまったので、7時起きぐらいに戻っている。近年稀に見る「6月らしい6月」になっているような気がする。季節に対する認識の更新を迫られる昨今の気候において、僕らが子どもの頃に感じていた「6月らしい6月」が今のところは続いており、これが逆に異常事態なのではないかとすらおもえる。
朝夕は肌寒く、窓を開ければエアコンいらずだし、布団はまだ夏布団に切り替えられていない。去年や一昨年はもうエアコンをガンガンにかけていたような気がするのに、今のところは一日に数時間だけ、西日が差し込む夕方を乗り越えられたらそれであとは平気なのである。これだけ過ごしやすく、寒さすら感じる瞬間がある「6月らしい6月」に置かれてみると、小学生の頃(20年ぐらい前)は、よく「寒くてプールの授業中止」になっていたことを思い出す。
プールの授業ほど喜ぶ人とブルーな気持ちになる人の差が激しい授業はないとおもうが、僕にとっては長年水泳を続けていたというのもあり、体育において唯一ヒーローになれる授業だったからこのシーズンになるとソワソワして落ち着きなく、妄想は膨らむ一方であった。概してその妄想は打ち砕かれるのだが、プールの授業が楽しくてしょうがないからそれは別にどうでもよかった。
ただ気にしていたのは、プールの授業当日朝の体温と、あとは「寒くて中止」にならないかどうか。とくに後者には気を揉んだ。一年に回数の限られた今しかできないプールの授業が、体育の中で唯一「楽しい」とおもえる授業が、そしてなにより僕の活躍のチャンスが失われるのが嫌だった。遠足前でもてるてる坊主を作ることはなかったし、当時少年野球クラブに入らされていたのだが、その練習嫌いから土日に雨が降るよう逆さ坊主を作っていたぐらいなのに、この時期だけはてるてる坊主を作って晴れをせがんだ。ああそうか、少年野球ではうだつの上がらない僕が、唯一周囲に誇れるチャンスがプールの授業だったというのもあって余計に固執していたのだろうとおもえる。
だが、そんな僕の希望もむなしく、プールの授業は何度か「寒さで中止」となった。そのときの落胆たるや、小学生の僕にはこの世の終わりのごとき衝撃をもって受け止められていた。当然その後の授業なんか身が入るわけもなく、抜け殻のような一日を過ごしたのち、また次のプールの授業への祈りが始まったのである。
ただ、別にプールの授業が中止にならないまでも、寒かったという思い出は多い。プールに入る前に浴びるシャワーは「地獄のシャワー」と呼ばれるくらい、肌を刺すように冷たかったし、スポーツクラブの温水プール育ちの僕には学校のプールそのものも冷たく、身を浸せばヒヤッと緊張が全身を駆け巡り、泳ぎがやや固くなっていたような気もする。プールの授業終わりに、すっかり唇が紫になっている同級生もいた。まだあの頃の初夏はうだるような暑さではなかったのだ。
近年の気温の中であの「地獄のシャワー」を浴びればさぞ気持ちの良いものだろうけど、今度は屋外プールの水温がとんでもないことになっており、温水どころか温泉プールと化してしまっているだろう。今度はプールの水温が上がりすぎて授業が中止になっているとまで聞く。僕が高校生のときの水泳部の練習でも、やはり14時ごろになるとかなり水温が上がっていて、こまめな水分補給を呼びかけられていた。今から10年以上前でもそうだったのだから、今の屋外プール事情は思いやられる。
そういえば、小学生の頃はゴーグル着用がなぜか許可制になっていた。「つけない」のがデフォルトなのである。何かしら目にダメージがいくと困る、という人が申し出ることによってはじめて着用できるというルールだった。といってもその許可は素通し同然だったし、高学年に上がるころには形骸化してみんなつけていた。スポーツクラブの温水プール育ちの僕にはゴーグルをつけないのはありえない、とおもってはいたのだけれど、別に目に障害があるわけではないからと、最初の2年ぐらいは律儀にゴーグルなしで授業を受けていたような気がする。
ゴーグルをせずに水の中で目を開けば、それはもうぼやけてぼやけてしょうがない。色がわかるぐらいで形がつかめない。指の間には水かきらしき形跡が残っているにもかかわらず、すっかり目のほうは地上のほうに適応してしまっている。僕らの命のふるさとにはもう引き返せなくなっている。
水は確かに怖い。それでも、ゴーグルなしで水の中に飛び込まされて、感覚が遮断されてしまうという体験が水への恐怖をいっそう駆り立てるのではないか。特に視覚を潰されるのはたいへんに怖い。僕は幸い、水にはずっと親しんでいたからなんともおもわなかったが、ゴーグルが許可制というのはおかしかっただろう。昔はそうだったから、でなんとなく続いていた陋習があの頃はまだ残っていた。
水が怖いでいうと、呼吸の問題がある。むろん水の中では呼吸はできない。ので、水に慣れていない人はプールの中でグッと息を止めてしまう。これがよくない。水の中がしんと静まりかえり、息もできず、死の世界のように感じられてしまっていっそう怖くなる。おまけに動けば鼻の中に水が入るから鼻の奥がツンとして気持ち悪い。一刻も早く自ら顔を出して息を吸いたい……!こうして水の中が厭になるのではないか。
水の中では、息を止めてはいけない。鼻から息を吐き続けるのである。こうすれば鼻に水は入らないし、ブクブクと泡が出ているさまが生を感じさせてくれる。そして何より、息を吐けばリラックスできる。不必要な力が抜けて、身体を浮かせるのに必要な部分に力を集中できる。一方で、グッと息を止めてしまえば身体が硬直する。これでは水に浮かぶことはできない。
プールの授業で真っ先に教えるべきはこの呼吸であるはずなのに、なぜか教師たちは何もわからぬ子どもたちをとりあえずプールに入れてしまう(今の指導がどうなっているかは知らない)。これではプールの授業でブルーになってしまう子を生み出してしまう一方である。
こうして書いてみると、水泳を習わなかったらいったい僕はどうなっていたのか、まったく恐ろしい。別にスポーツが得意というわけではなかったから、水泳の授業が迫るとブルーになっていたにちがいない。「寒くて中止」になれと願っていた側になっていたかもしれない。いたずらに水の中でもがいて、恐怖心を増幅させていたのではないか。それ以上に、他のスポーツでは後れをとっている自分が巻き返せる授業がない、というのは子ども時代〜思春期の僕には辛かったであろうとおもう。男の子にとってこれは死活問題なのだ。僕は覚えていないけど、ただひとつ、僕が親にせがんだ習い事が水泳だったらしい。覚えていないけど、あのときの僕、ナイスだね。
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