われわれの脳には二つの思考システムがある。「システム1」と「システム2」である。ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』があまりにも有名だが、この名前を最初に提案したのは、心理学者のキース・スタノビッチとリチャード・ウェストであるということは知っておきたい。
「システム1」と「システム2」、それぞれどんな特徴がある思考システムなのだろうか。『ファスト&スロー』から引用してみたい。
・「システム1」は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。また自分の方からコントロールしている感覚は一切ない。
・「システム2」は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは、代理、選択、集中などの主観的経験と関連づけられることが多い。『ファスト&スロー』上 p.41
「システム1」は動物的な行動に関するものや、長年の訓練によって、特に苦労することもなく、容易にこなせるタスクを処理するときにはたらく。階段を登る、ものをつかむ、コップから水を飲む、簡単な計算、空気を読む等々……そして、そのスイッチはオフにすることができない。「システム1」は自動運転を続けている。
もう一方の「システム2」には注意力を必要とし、例えばAとBのプランではどちらがいいかを比較して総合的に判断を下したり、物語を読んだり観たときに、伏線が張り巡らされていたとして、それが何かを思い出したりするなど、認知的な努力を払わないといけないときに、はたらく。「システム2」は普段、「システム1」と違って省エネモードで活動しており、要請を受けてから活発になる。
われわれの意思決定の際は、「システム1」が受け取った情報を元に、「システム2」がゴーサインを出すことで決裁され、行動に結びつく。感情や直感といったものに理屈や意思を付与し、前に進めるのだ。
そして、たびたび直感で突き進み、安易な方向に飛び込みそうになる「システム1」にブレーキをかけ、セルフコントロールをかけるのが「システム2」の仕事ではあるのだが、今のわれわれを取り巻く世界は、とにかく「システム2」に負荷がかかりすぎている。仕事の複雑化、高度化によって求められるクオリティ、スピードは跳ね上がってしまったし、広告が絶えず誘惑してくるなかで、それをTPOに合わせて振り切り続けなければならないなど、大変に認知的負荷がかかり続けている状況なのだ。そういった状況下でさらなる難題が降りかかってきたとき、人はもうセルフコントロールをする気力を失うか、うまくできなくなる。こういった状況は「自我消耗」(『ファスト&スロー』上 p.79)と名付けられている。
「自我消耗」状態となり、疲れ切った夕方〜夜のころ、僕らを襲うのは、そう、「夕食は何にするのか」問題である。まだ余力があれば、「システム2」を起動して明日からの自分のことを思い、ヘルシーな食事であったり、飲酒量を節制するなどして、動物的、直感的な部分を抑えた意思決定ができるのだが、もう疲れ切った「システム2」は「システム1」に行動権を明け渡してしまい、利己的、表面的な判断に走りやすくなる。ファストフードに走ったり、より大量のカロリーを摂取できそうなものを選んでしまうという行動につながるのだ。土井善晴は現代のこのような傾向に懸念を表明した上で、セルフコントロールを自らの手に取り戻すための手段として、「一汁一菜」を勧めるのだ。
毎日の献立を考えるのがたいへんだという人が多いと聞きます。遅くまで仕事をしていると、家に帰ってからお料理をする気にもなれない。外のことを優先して、大切にすべき自分のことは後回しにしてしまう、ついおろそかにしてしまう。(中略) 今、お料理をしない、できないという理由はいくらでもあるのです。
『一汁一菜でよいという提案』p.8
毎日三食、ずっと食べ続けたとしても、元気で健康でいられる伝統的な和食の型が一汁一菜です。毎日、毎食、一汁一菜でやろうと決めて下さい。考えることはいらないのです。(中略) 歯を磨いたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたり、部屋を掃除するのと同じ、食事を毎日繰り返す日常の仕事の一つにするのです。
『一汁一菜でよいという提案』p.12
土井は食事の型を一汁一菜に決めてしまうことによって、もはや「考えることはいらない」とまで言ってしまう。要するに、「システム1」のデフォルトを一汁一菜にしてしまえと言っているのだ。「システム1」は、ア・プリオリなものだけでなく、経験によって習熟し、容易にこなせるようになったタスクでもはたらくということは最初に指摘しておいた。「自我消耗」状態で「システム2」がうまくはたらかないときでも、「システム1」として一汁一菜がはたらけば、最低限のセルフコントロールは守られるのだ。
僕もそうしてこの2年以上を過ごしてきた。自動運転で回す一汁一菜によって、余計なことを考えず、また余計なものに手を伸ばさずとも、命を繋いでこれた。「一汁一菜に固定」と聞けば、不自由さ、窮屈さを感じる人もいるだろうが、疲れ切った脳に鞭打ってわざわざ「システム2」を起動してご飯を考えなくてもよいのだ、という開放感の大きさを味わうと、もう戻れなくなるのである。
関連百汁百菜
今回の一汁一菜

2025/12/30分
キャベツ・ネギの炒め味噌汁-落とし玉子
大根の梅甘酢漬け
味噌きゅうり
ちょっとガツンと来る味噌汁を食べたくなったら、野菜を炒めて、そのフライパンのまま味噌汁を作ってしまう。この日はさらに落とし玉子もダメ押し。味噌汁に玉子を落とすのは、毎日やると飽きるけど、たまに食うととても美味い。
大根は砂糖をまぶして揉んだあと、梅干しを叩いたものをいれた甘酢で漬けたのだが、なかなかいける。醤油漬けよりもうまくいった。
味噌きゅうりは出雲大社に行った時のおみやげ。今後もちまちま登場する。
参考文献
・ダニエル・カーネマン(著) 村井章子(訳)『ファスト&スロー』(上) 早川書房
・土井善晴『一汁一菜でよいという提案』グラフィック社(新潮文庫版もある)






コメント