0063 声をかけるか、かけられるか

百汁百菜

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「いその〜野球やろうぜ〜」と、カツオはだいたい中島くんに誘われて遊びに出かけている(最近は学校で約束してきていることが多いかもしれない)。花沢不動産の前を通りかかったら、中から花沢さんが出てきてケーキでも食べないかと誘われ、カオリちゃん、早川さんからもけっこう遊びの誘いがくる。カツオはトラブルメーカーであちこちを引っ掻き回してはいるものの、あんがい、遊びの誘いに関しては、自分から声をかけるよりも、かけられていることが多いようにおもう。僕も遊びの誘いに関しては、自分から声をかけるというよりは、かけられるほうが多い。といっても、カツオのようにはモテていないのだが。

 別に一人っ子の宿命だとはおもっていないが、一人で遊ぶことに慣れていて、誰かを誘ってまでなにかしようということになかなかならない。一人で勝手にどこかへ行って、なにかをやってしまう。自分一人でも完結する趣味をいくつももっていて、そこから外に出なくても、一生をつぶせてしまいそうになっている。いい意味でも悪い意味でも他人の影響を受けにくくなっている。
 これはなかなか問題であることは感じている。他人の意見、視線を取り入れられないのは自分の視野を狭め、思考を硬直化し、他人と歩調を合わせられなくなっていくことになるから、ますまず孤独への道を進むことになる。ドラマ『孤独のグルメ』が孤独バンザイの風潮に火をつけ、お墨付きを与え、おひとりさまに印籠を与えたもうたが、あれは一人の背中に哀愁を漂わせる、初老の枯れ始めたおじさんが世間の目をはねつけ、自娯の世界に入り込んでいるさまがよいのであり、その後ろめたさが最高のスパイスとなっていたはずなのである。
 しかし、近年の『孤独のグルメ』では、もはや井之頭五郎の背中に哀愁を感じなくなっている。一人飯の楽しさにある寂しさの気配はそうとうに薄れてしまった。後ろめたさのない一人飯では、背中に刺さる冷たい目線を跳ね除ける精神力も、食事は「誰かと」が当たり前という風潮に逆らう反骨心も養われない。ちょっと最近の井之頭五郎は堂々としすぎなのである。一人飯が当たり前になっている世相が反映されたともいえるのだが。
 孤独はどこか後ろめたさ、寂しさを抱えていなくてはいけない。自分は本当はやってはいけない、やらないほうがいい方向に進んでいるんだという感覚、問題意識はもっていなければならない。これを忘れてしまえば、孤独の寂しさが反転することでもたらされる幸福も薄れるというものである。

 僕らが子どもの頃はまさに初代「ベイブレード」などの対戦トイが同級生の話題を席巻していた時代であり、隣近所からベイブレードを持ち寄って、みんなで対戦したりしていた。ああいうおもちゃはおのずと人を繋ぐ役目をもっている。ベイブレードを口実に誰かを誘うことは容易であった。それは遊戯王などのカードしかり、ポケモンなどのゲームしかり。とくにベイブレードは「スタジアム」の存在が大きく、これを持っているだけで一躍輪の中心となれた。ゲームでは「通信ケーブル」を持っている子や、多人数で遊べる据え置き機が家にある子が輪の中心になった。
 子どもの遊びにはいくらでも口実があった。それが、大人になってからの遊ぶ口実なんて酒か旅行ばっかりである。別にそれでも構わないが、往時の無邪気さで「遊ぶ」ことには結びつかない。正直言って、おもちゃ売り場を通りすがるたびに今のベイブレードのかっこよさには興味があるのだが、相手がいないから手に取ったところでどうしようもない。時間差をつくって一人でシュートするベイブレードの寂しさといったら……。

 誰かに声をかけるのが苦手だから、一人でも平気でいられるようになったのか、はたまたその逆かはわからない。別にどっちが先も何もなく、どっちもが相互に絡み合って、今のような僕をつくったのだろう。それでも平気といえば平気だが、ときどき狂気に堕ちないかというおそれを抱くことはある。だいたい夢の中でも、覚えているものといえば、誰かと関わっている様子なのである。それがあるから、起きているときは正気を保てているのかもしれないし、結局根本の欲望としては、誰かと関わっていることなのであろう。
 じゃあ誰かを誘って何かしますか〜とはそう簡単にいかないのが人間の一筋縄ではいかないところである。僕はひどく自身を売り込むことが苦手だし、誰かを巻き込んでいくことはあまり好きでない。営業の仕事に就いても、さっぱり興味を持てずに1年そこらで辞めてしまった。他人への興味というのもあやしいところである。「ヒト」としての観察対象としてはおおいに興味があるが、その人その人のパーソナリティに迫っていき、関係性の糸を絡めていくことにはあまり興味をもてない。恋の駆け引きなんていうものは、もってのほかなのである。

 自分から声をかけないぶん、誰かからの誘いには基本的に乗ることにしているが、他人任せの待ちの姿勢には限界がある。もう少し、カツオのように色々誘われるような愛嬌を振りまいておかねばならないか。カツオはなんだかんだいって愛されるキャラクターだけど、僕にはどうも愛嬌がないんだよなあ。

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