0068 かけ算プロフィールに気をつけろ?

百汁百菜

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 SNSなどのプロフィールや名前欄に「AI×副業×〇〇」とか「医師×〇〇」とか「〇〇×ライティング」みたいなものを見かけると、そのアカウントが一気に香ばしいものに見えてきてしまう。僕はこの手のものを「かけ算プロフィール」と勝手に呼んだりしているが、世に送り出される新商品にもこの手のかけ算は多い。「二郎系×新感覚」とか「簡単×がっつり×背徳感」とか「コーヒー×サステナブル」とか、みんなとにかくかけ算をしたがる。これは猫も杓子も犬もお玉も、ビジネスを手っ取り早くスケールしたいからにほかならない。足し算のようなスピードと手間ではこの世の中の変化速度についていけないし、規模が小さく見えてしまう。そこのところを、かけ算ならば一気に何倍にも膨らませることができるから、みんなかけ算プロフィールになっていく。
 かけ算において、一つでも全く魅力的におもえないものが混じっていた場合は「ゼロに何かけてもゼロ」になるおそれがあるにもかかわらず、みんな躊躇いなくかけ算をしていく。僕にとっては「AI」なんかが混じっているだけで一気にゼロになるのだが、みなさんはどうおもっているのだろう。かけ算プロフィールを掲げる人にとっては、それぞれの項が魅力的であるのは大前提、もはや当然のことであって、あとは何と何を掛け合わせるか、という問題にだけ意識が集中している。

 僕なんかはかけ算プロフィールではなく、それを活かした割り算を見てみたいと常々おもっているのだが、なかなかみんな自分のビジネスを大きくすることしか考えていないから、そういった人に出くわすのはまれである。「特定の職業×経験やツール」のかけ算があったとして、それをそのままビジネスとして拡大するのではなく、そのかけ算を分母にして、世の中のあらゆることを斬ったり、分析したり、新たな視点を見せてくれるような人や、かけ算で生まれた世界観を「地」として、世界に転がる様々な「図」に新たな形質を与えるといった編集力をはたらかせている人ならばその発信に注目したいとおもっている。けど、そんな人はわざわざプロフィールにかけ算を載せたりはせんわなという話であり、いちいちかけ算の式として表していられないほどの項がその人には備わっているだろうという話でもある。
 有名クリエイター同士のかけ算でも同様である。それらの才能が組み合わさることによって広がるスケール感というよりは、有名クリエイターたちの才能を分母として、作品テーマをどう調理するかのほうに注目したいのである。話題性だけのために選ばれたクリエイター同士の衝突というのはときに互いのよさを削ぎあう結果となり、見るに堪えないことがある。

 自分らしさを表現する言葉の組み合わせとしてもかけ算プロフィールは用いられる。これとこれの組み合わせを持っているのは自分だけだ!これがアイデンティティだ!というふうに。多数の中に埋もれない組み合わせで自分を表現するためにみんな心を砕いている。そのかけ算において、それぞれの項でうまく相互作用が生まれていればよいのだが、ときに差別化にだけ意識が向かいすぎてトンチンカンなかけ算になっているケースもみかける。本当にそんな人がいるのかというのは置いておいて、「インテリア×農業」とか「ダイエット飯×ジャズ」なんか言われても、それとそれをかけ算したから何なんだよとおもえてしまう。まったく新しすぎて人の理解が追いついていないだけかもしれないが。これがたとえば「農業×ダイエット飯」や「インテリア×ジャズ」だったならある程度納得感も出てくるものである。
 その点、「AI」は魔法の言葉といえよう。何にかけ算してもそれっぽくなって、なんか新しいことやってそうに見えるワイルドカードである。

 資本主義社会、グローバリズムの中において、かけ算がもたらすスケール感はビジネスに必須のものとなっている。なにを掛け合わせるか、マーケターなり発信者は血眼になってその組み合わせを探し、試し、効果を最大化できる項があればそれに飛びつく。近年の飲食業界の二郎系(G系といったりもする)かけ算の多さといったら。わかりやすい・真似しやすいアイコン(てんこ盛りのもやし・キャベツに分厚い豚、黄色い背景に黒字など)と消費者側の憧れ、背徳感、がっつり嗜好(志向)が噛み合い、この手の「〇〇×二郎系」の量産につながっている。そして、先にもいったように、発信者ではやはり「AI」がワイルドカード化していて、どこにでも「AI×〇〇」といったかけ算プロフィールが量産されていく。
 差別化、自分らしさを示すためのかけ算プロフィールがこのように同質化、画一化していくのはなんたる皮肉であろうか。いや、最初から差別化、自分らしさなんてどうでもよく、ビジネスを広げられさえすればそれでよかったのだろう。オルテガ・イ・ガセットは1930年の著書『大衆の反逆』で次のようにいう。「私たちは、信じられないほどの能力を有していると感じていても、何を実現すべきかを知らない時代に生きているのだ。あらゆるものを支配しているが、おのれ自身を支配していない時代である」(『大衆の反逆』岩波文庫、p.111)と。そして、次のようにいう。「あらゆる才能を持ち合わせているが、ただそれらを使う才能だけは持ち合わせてない」(同、p.111)と。オルテガがこれを書いた時代から100年が経過しようとしている現代においても、この問題意識は継続している。あらゆるかけ算の項を僕らは持っているし、使えるはずなのだが、それをもってしても何ができるのか、僕らにはわかっていない。それどころか、成し遂げたいものなどというものもない。かけ算プロフィールの空虚さはそこからあらわれてくるのではないか、と僕はおもう。

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今回の一汁一菜

2026/03/19分

大根・ほうれん草・油揚げの味噌汁
大根の梅甘酢漬け
わさび椎茸の佃煮

参考文献

・オルテガ・イ・ガセット(著) 佐々木孝(訳)『大衆の反逆』岩波文庫

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