0057 世界の切り方②:自分のスクラップブック

百汁百菜

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 僕は子どものころ、いい年頃になったら「なりたい自分カタログ」のようなものが自動的に編纂へんさんされていって、その通りに生きていくのかなとおもっていた。子どもの頃の夢なんてものは特になく、小学校で言わされた将来の夢は「野球選手」。でも、僕は野球をするのが大嫌いだったので、嘘をついていた。だが、特に夢なんて持たなくてもよく、しかるべき年齢になったらしかるべき経験をして、しかるべき時期が来ればしかるべきライフステージの階段を勝手に上がっていけるのかとおもいこんでいた。だが実際は仕事も友人も恋人も自動的にはやってこないし、やりたいこともなりたいものも、向こうからはやってこない。
 自分からのはたらきかけがなくとも、向こうからなんでもやってきて、その通りにことが運んでいくなど、子どもの万能感と、親の庇護化で生まれる幻想にすぎないのだが、僕はそれを結構長いこと引きずってしまっていたようにおもえる。
 こうして人は「自分探し」の旅に出ることとなる。どこかに「本当の自分」があると信じて……

 だが、そんなものを探しに行ったって、どこかにあるはずもない。どこに行ってもあるのは自分の断片だけだ。家庭での自分、学校での自分、バイト先での自分、職場での自分、友人づきあいの中での自分、パートナーとの関係性の中での自分、町内会での自分、ひとりでいるときの自分……人はそれぞれにペルソナ——TPOに応じて切り替える仮面——を使い分けて生きている。どれかが本当の自分だといえるものなんてなく、ただそれぞれの関係性の中に自分の断片があるだけである。
 自分の断片というのは他人の中にも世界にも撒き散らされている。それぞれの関係性の中で出会う他人には、自分の顔、声、話した内容、思い出、プレゼントしたものなど、自分の断片が入り込んでいる。また、自分の部屋など、暮らしている世界にも自分の断片が撒き散らされている。それは単に汗や髪の毛や爪の一部などといったものだけでなく、家具の配置、本に挟んだしおり、大事にとっておいたウイスキーなどにあらわれている。
 自分というのはそういう断片の集積物でしかない。スクラップブックのようなものだ。確固たる自分というものが存在していて、はじめからキレイにパッケージングされているのではなく、自分の一部となるものを集めて切り抜いて貼り付けて、どうにかその「自分らしいもの」を保っているといってもよい。それは決して僕が空想していた「なりたい自分カタログ」のように自動的に編纂されるものではない。世界に撒き散らした自分の断片を回収して読み直し、また、世界の中から自分の一部となりうるものを切り抜いてはスクラップブックに貼り付けていくという作業が欠かせないのである。

 人はこうした絶えない自己編集をおこなっている。とくに意識していなくとも、アニメ・マンガなどで心に響いたセリフを諳んずることや、流行りのダンスを踊ってSNSに投稿するようなことにも、作りたいとおもった料理のレシピのスクショをとっておくようなことにも自己編集がはたらいている。
 僕の場合、買った本には線を引き、関連する事項があったら書き込んでしまう。図書館で借りた本でこれはいいと思った部分は抜き出してメモアプリに保存したり、iPadでノートをとったりしている。思考がまとまる前の、ちょっと思いついたような一言もメモアプリにすぐ書き込んで自分の外に保存している。自分の頭の中だけでは、とうていスクラップブックの編集が追いつかないのだから、世界という便利な記憶装置を活用しない手はない。
 そもそも、この「百汁百菜」も、僕の思考の一部を貼り付けていくスクラップブックのようなものである。世界から切り出してきたものを貼り付けて、関連づけていく編集行為なのだ。僕の場合はこれを一応世に見えるかたちで提出しているが、自分ノートをつくっていたり、日記をつける習慣をお持ちの方には、このような編集行為の面白み(と苦しみ)が理解してもらえるのではないかとおもっている。

 同じものを見ても感想が違うように、人はそれぞれの切り出し方で自分のスクラップブックにものを貼り付けていく。そこにその人らしいものが見えてくる。本当の自分というようなものはどこかにあるわけでなく、極論をいえば、その世界の切り出し方にしかあらわれてこないといえよう。方法であり、述語にしか、自分というのはあらわれてこない。「個人」というナニカが存在するかのような概念は欧米からの輸入品であって、ほんらい日本にあった方法ではない。
 日本の方法ではないものに惑わされて、どこか遠くの国へ自分を探しにいく必要なんてない。脚下照顧。自分のスクラップブックを省みることで、自分が世界に撒き散らしたもの、世界から受け取ったもの、切り出したものを繋ぎ合わせることができれば、自分らしいなにかは見えてくるはずである。

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2026/03/05分

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京菜と大根漬け
なめ茸

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