0139 回避ばかりの人生

百汁百菜

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 子どもの頃からやけにドッヂボールの回避だけはうまかった。キャッチも投げるのもそんなにうまくないが、ひたすら避けることは得意だった。最後の方まで残ったのはいいけれど、避けるだけで戦力にならないから有難がられることもなかったが。
 とくに意識しなくてもボールを避けるのは簡単だった。なぜそんなにヒョイヒョイ避けられたのかといえば、おそらくボールではなく相手の目線を見ていたからだろう。今からどこにボールを投げる気でいるのかというのを目線を見て先に察知しておく。いざボールが放たれてから避けるのでは間に合わないが、ボールを投げんとする瞬間、相手がどこを見ているかを確認しておけば、それに合わせて身体が勝手に回避行動を取っている。

 思えば避けてばかりの人生である。すっかり回避癖がついている。仮に「ああ、相手はこうしてほしいんだ」とわかったとしても、その通りに動こうとしない。裏切る。相手の期待を満たして「役に立った」「人のためになった」ことに対する喜びよりも、相手の思い通りになってしまうということに僕は耐えられないのかもしれない。

 回避癖は小学4年生からの少年野球にはじまる。「お試しだけ」と親が言うから少年野球の体験入団に行ったら、あれよあれよと正式に入団させられてしまった。まったく野球は好きではないし、上手くなりたいと思っていないのに加え、体格も当時は貧弱だったため、当然芽が出るはずもない。練習がある土日には「雨になれ」と願うのがお決まりであった。
 あまりにも嫌すぎて何度か腹痛を訴えて早退した。本当は我慢できるほどの腹痛だったが、練習を回避したいという思いがそれを増幅した。ただの仮病である。当然演技もした。親は半分呆れて僕を迎えに来た。スーパーで昼飯を買うことになって僕がカツカレーを選んだら、「腹痛いのにカレーやねんな」と母親は言った。腹痛は演技であるというのはとっくに見抜かれていたのだろう。所詮小学生の演技なのだ。天才子役とは違う。

 中学生になったら当然野球なんか辞めてバスケットボール部に入った。ようやく自分で手にした選択に、大いに発奮した。順調に身長も伸びてきて、1年に10cmは伸びるという勢いであった。だが成長の急激さか、あるいは無理が祟ったか、あるとき右足をケガして以来、慢性的な痛みに悩まされることになった。
 痛みには波があり、マシなときには練習に入ったが、それでもぶり返して離脱し、というのを繰り返していけば、当然周囲との差は開いていく。
 普通、レギュラーメンバーに入ったり、試合に出られるというのは喜ばしく誇らしいことなのかもしれないが、僕はそれをどうも避けたいと思っていた。少年野球時代は当然試合の出場機会もなく、声ばかり張り上げていたが、その経験からか自分がプレイヤーとしてコートの中にいるということにどうも馴染めなかったのだ。
 チーム競技というのも僕の気に掛かるところである。連携がうまくいかなかったら、せっかく出場しても活躍できなければチームからの期待を裏切ることになる……そういった思いが僕をますます回避させる。

 結局高校生になったら、チーム競技から離れて個人競技である水泳に移行する。もともと3歳から12歳までずっと水泳をやっていたから新たな挑戦というわけではない。足の痛みも陸を駆けなければある程度マシになった。このとき、部活に関してはなんとも気楽にやれていたが、今度は勉学のほうでどうしようもないほどに数学に関するセンスがないことが露呈した。中学生の頃から兆候はあったが、数学だけがどうしようもなく点数が取れない。授業を聞いていても右から左。
 時期を同じくして男女の交際絡みで精神の不調をきたし、高校2年生になって、とうとう学校に行かなくなった。

 学校をサボっている間はゲームに動画の放蕩三昧。昼夜は完全に逆転し、食事は自分で夜中に作って昼間に食べるといった具合。殻に籠って世間から切り離され、誰の期待も満たさない、誰の言うことも聞かないこの期間は、はたして僕にとっては極楽そのものであった。このときに得た快感が今も尾を引いているのは間違いない。
 ただいつまでもこうしているわけにはいかないだろうと3年生の頃には学校に復帰した。そして、とうとうこのとき吹っ切れてしまった。周囲にどう見られても関係ない。期待通りの振る舞いを拒否し、自由気ままに生きてやろうと。そしてここからは怒涛の勢いで裏切り街道を驀進ばくしんすることになるが、いちいち書いていればキリがないのでここまでにする。

 思えば、最初は親に「まずはお試し」と言いつつも少年野球に入団させられたという“裏切り”に端を発しているのではないか。とはいえ、ここで親を恨み、責任をなすりつけることで溜飲を下げるというのではなんとも芸がない。親との不協和なんてどこの家庭でもあることであり、なんでも思い通りにいったという親子関係などあるはずもない。むしろこの親子関係の葛藤からおのれ自身を立ち上げていくという気概がなければならない。
 そして僕はこの葛藤の中で、「回避」そして「裏切り」をおのれの生き方として定めたのだ。周りの要請を蹴り、当たり前と言われる考えを躱して立ち回る。ときには周囲が持っていない考えを示してあっと言わせる(困惑させることのほうが多い)。
「回避してばかりだと取り返しのつかないことになるよ」と世間ではよく言われるが、僕にとっては「取り返す」もなにも、手に入れたいものが特にこの世にはないのだ。もしかしたらまだ出会っていないだけかもしれないけれど。逆に問いたいが、皆さんはいったいこの人生で何を手に入れたいとおもっているのだろう?

 すでにモノでいっぱいに満たされている世の中に生まれ落ちてしまったからこそ、こうした生き方ができているというのはまったくその通りである。甘えているといってもよい。精神が堕落しているとの誹りも甘んじて受けよう。
 そう。僕は堕落している。人間社会での葛藤を回避し、課題を拒否し、上るべきとされる階段に足をかけようともしていない。でも、下から世の中を眺めるのはなかなかの絶景である。世間からの距離で言えば、下から見るのも、上から見るのもさして変わらない。金を儲けすぎた人がある時無常観に目覚めて世を捨てるような行動に出ることがあるように、それぞれの極にいけば、かえって似たような世界の見方をしているということはよくあることではないか。

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