0064 懸けない、賭けない、けど飽きない

百汁百菜

※当サイトはアフィリエイト広告を使用しています

 人生で一度だけ、パチスロをやったことがある。といっても、友達に連れてこられて、その友達の金で。他人の金だからというのもあったろうけど、全く感情が動かなかった。実に虚無の数分間。もしこれで僕の脳からドーパミンが出ていたらどうなっていただろう。僕をギャンブルの世界に引きずり込んだとして怨んだろうか、それとも「大人の世界を教えてくれてありがとう」と感謝しただろうか……。
 あのとき、僕の脳がまったく反応を見せなかったことで、僕は心底安心した。人生何が起こるかわからないだろうけど、今のところギャンブルにハマることはなさそうである、と。上記の1度きりのパチスロ以外、僕はギャンブルをしていない。パチンコは言わずもがなだが、競馬、競艇、競輪などの公営競技もそうだし、宝くじすら一度も買ったことはない。今日は確かなんとかジャンボの発売日だったっけ。「朝早くから特設売り場には行列ができています!」とニュースではさっそく報道されており、インタビューに答えたおじさんが「狙うはもちろん1等」「会社を辞めたいと思ってます!」と夢を語る。一発逆転を狙う人、束の間の夢を買う人、もしかしたらいるかもしれない募金感覚の人など、さまざまな思いが交錯する宝くじ売り場であるが、僕はあの中に交じろうとおもったことは一度もない。
 近年ではすっかりおなじみの、ソーシャルゲームのガチャなんかも、広義ではギャンブルのうちに含まれてしまうかもしれない。僕も一つだけそんなゲームをやっているが、わざわざガチャを回すための課金はしないと心に決め、それを遵守し続けている。基本的に無料でもらえるガチャのリソース分だけとし、望みのものが出なくても、深追いはしない。そのときの運が悪ければ、そのときはそのときと、スッパリ諦めるようにしている。

 人は利得よりも損失を恐れる……というのはわざわざ説明しなくても、生活の体感としてみなさんわかっているだろうけれど、人は、利得を得る際にはギャンブルよりも確実なものを選ぶ一方で、損失を被る際には、確実なものよりも、ギャンブルに走るというのはご存知だろうか。たとえば、次のような例だ。

問題1 あなたはどちらを選びますか?
 確実に九〇〇ドルもらえる。
 または
 九〇%の確率で一〇〇〇ドルもらえる。

問題2 あなたはどちらを選びますか?
 確実に九〇〇ドル失う。
 または
 九〇%の確率で一〇〇〇ドル失う。

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー(下)』p.92〜93

「九〇〇ドル」や「一〇〇〇ドル」がピンとこなければ、「9,000円」と「1万円」ぐらいに読み替えてもいいだろう。どちらを選んでも期待値は同じ。でも、たいていの人は問題1では確実にもらえるほうを選び、問題2では、ギャンブルに打って出るほうを選んだという。もらえるものは確実にもらおうとするが、どうあがいても失うのであればギャンブルに打って出て、「失うかもしれない」という確率論に持っていこうとするのが人間なのである。「確実に失う」ほど怖いものはないからだ。では、次のようなギャンブルの場合、あなたはどうする?

問題5 あなたはコイン投げのギャンブルに誘われました。
 裏が出たら、一〇〇ドル払います。
 表が出たら、一五〇ドルもらえます。
 このギャンブルは魅力的ですか? あなたはやりますか?

同、p.99

 ここでも「一〇〇ドル」と「一五〇ドル」がピンと来なければ「1万円」と「1万5,000円」ぐらいに読み替えていいだろう。さて、あなたはこのギャンブルに乗るか?僕は乗らない。では、もらえる額が増えるのならば?
 だいたいの人が、「損失の二倍の利得が見込めないとギャンブルには乗らない」(同、p.100)ということである。二〇〇ドル(日本円に読み替えたのならば2万円)もらえないとこのギャンブルに乗ってこない。人によっては、どれだけ積まれても断るだろうが。
 では、外した際に失う額と、当たった際にもらえる額を比べた際、日本にあるギャンブルにおいて、乗っかるだけの価値があるものはいったいどれだけあるのだろうか。
 当せん額だけでいえば、どのギャンブルも2倍ではすまないだろう。だから吸い込まれていく人はつぎつぎあらわれる。でも、そこで当たる確率というのを勘定に入れているのだろうか。まあ、みんな「自分は当たる気がする」とおもっているだろうし、そのギャンブルに乗っからないことには当たりもハズレもないんだから、とりあえず乗っかっておくというのはわからないでもない。

 僕はギャンブルの結果だけを見ているから、面白くないのかもしれない。「乗っかる価値」などというものは傍に置いて、過程に対して一喜一憂し、興奮と落胆という精神の発散作用があるからこそギャンブルは面白いのだろう。そこに自分の金を懸ければより精神は昂り、落ち込みは一層の激しさをみせる。僕のように他人の金でパチスロをやっても、面白いわけがない。
 たまに他人の金や、組織の金を着服してギャンブルに充てる人間がいるが、あれはほんとうに面白いのだろうか。たぶん、負けが込んで、なんとしても取り返さないといけないという焦燥感がああいう行為に手を染めさせるのだろうけれど。
 ギャンブルを頭ごなしに否定しようとはおもわないし、そこに楽しさ、面白さがあることは十分に認めるところである。だけど、僕は乗っからないだろうな。人生というものがすでにギャンブルなのであって、これ以上なにかに懸けたり、賭けたりしなくても、十分ヒヤヒヤしているし、楽しいこともいっぱいあるからである。また、僕は分散投資派であって、一つのことに全部を懸けるということもしない。一所懸命というのができれば男前なのだけど、そこはちょっとチキンでいたい。チキンにはチキンなりの、コツコツ積み上げる面白さというものがあるから、一つがダメになっても、ほかがあるからと、飽きのこない人生は過ごせているとおもう。

関連百汁百菜

今回の一汁一菜

2026/03/14分

クラムチャウダーwith半熟卵
バゲット

家で採れたカリフラワーやキャベツを入れた。

参考文献

・ダニエル・カーネマン(著) 村井章子(訳)『ファスト&スロー(下)』ハヤカワノンフィクション文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました