「謦咳に接する」という表現が好きだ。尊敬している先生などに直接お目にかかり、“咳払いの聞こえるような近さ”でお話を聞かせてもらうということを指すものだが、「会いにいった」だの「顔を合わせた」だの「お話を伺った」など、実際になにをしたかについては一切触れることなく、ただ「咳払いが聞こえる距離感にいた」だけでこれらを見事に表現しているさまが素晴らしい。
今付き合いのある友人はだいたい大学時代の友人で、住んでいる場所が飛び飛びだから、オンライン通話サービスを利用して話すことが多い。こうしたサービスを利用することで、距離を超えて気軽に繋がれるのは確かに便利だが、たまに直接顔を合わせて話すとやっぱりこっちのほうがいいな、と思う。
オンライン通話だと、顔は見えていても間の取り方が難しい。話そうとしたタイミングが被ってお互いに譲り合ったりするようなことがしばしば起こる。これはやはりオンライン上だと、「あ、今話そうとしているな」という息遣いや気配のようなものを察することができないからであろう。
また、会話というものは本来ターン制ではない。相槌がところどころ挟まり、ツッコミどころがあれば止めて入り乱れるように会話が展開する。ところがオンラインでは、2人の場合ならまだしも、3人以上になってくるとかなり混戦するので、誰かが話したら次の誰か、というふうにターン制にならざるを得ない。イヤホンやヘッドホンを通してしか声が入ってこないから、声に「方向」というものがなくなってしまい、口々にいろんなことを言うというのが難しくなるのだ。
空間が失われるのも痛い。たとえば4人いたとして、実際に顔を合わせてその場にいれば、4人で盛り上がることもあれば、2人ずつに分かれて別のことを話したりと、当意即妙、臨機応変に関係性が入れ替わっていく。しかし、オンラインでは必ず同じ擬似空間に置かれてしまい、4人が全員一つの話題にコミットしないといけなくなってしまう。これはまあまあ窮屈である。ある2人の議論が熱く展開する中で、ほかの2人は置いてけぼりをくらい、またその残された2人だけで話すといったこともオンラインではできない。別に話したければそのトークルームを抜けるしかなくなってしまう。
距離の制限を取っ払ってくれるオンライン通話だが、人間が直接顔を合わせて話す独特の空間性や流動性というのはどうしても失われる。事務的な会話ならオンラインでチャチャっと済ませてしまってもよかろう。しかし、深い話に入っていきたければ、やはり咳払いの聞こえる距離にいたほうがいい。
新型コロナウイルスの猛威は、直接顔を合わせて話すことの意義を問いかけることになった。元来、直接会って話すというコミュニケーションに苦痛を感じていた人や、人と直接会わなくなったことである種の開放感を感じた人たちは、もうオンラインでいいとおもうようになっただろうし、オンラインでの会話を余儀なくされたことによって、直接顔を合わせて話すことのよさを再認識した人もいるだろう。
僕は結局、オンライン通話を今でも行っているけれど、やっぱりできるなら顔を合わせたほうがいいとおもっている。オンライン通話があることによって、直接会うことが特別感を持つようになったともいえる。なんでもオンラインで済ませられるからこそ、肉体がそこにあるということの価値は増していくのではないか。いくら画面の前で頭を下げられても響かなかったものが、直接目の前で頭を下げられては、もう許すしかないと思い直すように。
新型コロナウイルスが猛威を奮っていたとき、まだAIは僕らの生活にあまり入り込んできていなかった。少なくとも、チャットGPTは今ほど優秀ではなかった。もしこのときにAIチャットが日常利用に堪える形で提供されていれば、人とのコミュニケーションすらもやめてAIとの会話にのめり込んでしまうという人もいたのだろう。
他者とのコミュニケーションに何を求めているのかによって、直接会ったり、オンラインで済ませたり、もはや人間ではなくAIを相手にしたりするのを使い分けていくのがこれからの時代の流れなのだろう。「何でも会って話すのが一番!」というのは、ある世代を境にすっかりいなくなってしまったはずだ。やっぱり直接会って話すのがいいとおもっている僕も、誰でも何でもそれが一番だとはおもっていない。
その座を実りのあるものにしよう、盛り上げていいものにしようというコミットメントがある者同士が集まるのであれば、やっぱり直接会ったほうがいいだろうとおもうけれど、そうでなければオンラインでも構わないだろうとおもう。要するに仲がいいかどうか、ウマが合うかどうかで僕は決める。
人と人(あるいは、AI)のコミュニケーションにさまざまな選択肢が生まれたことで、嫌なことに付き合わされるということはずいぶんと減っただろう。まことによい時代であるとはおもう。僕だって直接足を運んでまで会いたい人でなければオンラインで済ませたい。なにせ、どこへ行くにも時間がかかるところに住んでいるから。
その分、直接顔を合わせることは大きなイベントになる。楽しい会、実りのある会にしたいと気合いが入る。そしてだいたい、直接会ったときには深い話に入り込んでいく。年齢が年齢というのもあって、人生論といった方向に話が向かっていく。直接会うことの力は遺憾無く発揮されている。オンラインではどれだけ深刻な顔をしたってその空気感が完全には伝わらない。AIに話したって「そうですね!」「こういう選択肢はいかがでしょうか」ぐらいのことしか返ってこない。
男の集まりでは、とにかく聞いてほしい、分かってほしいというよりは、スパッと悩みを斬るような会話が繰り広げられる。こうした会話はオンラインよりも実際に会ったほうが切れ味は鋭く、しかし一方では優しさをもった太刀筋であることがよく伝わる。オンラインでは捨象されるニュアンスがよりよく伝わる。だから自ずとみんな己の深い部分の話をポロッと溢すようになる。
便利は便利で使えばいい。でも人間の問題はやっぱり人間同士の空間で取り扱ったほうがいい。咳払いの聞こえるような距離感で。
関連百汁百菜
今回の一汁一菜


2026/06/08分(上)
ナス・トマト・油揚げの味噌汁
きのことじゃがいもの炒め物
梅ひじき
2026/06/09分(下)
小松菜・豆腐・ぶなしめじの味噌汁
豆腐ハンバーグ(冷凍)
じゃがいものソテー
じゃがいもを畑で収穫してきたので、じゃがいもメニュー多め。









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