0118 代償についての諸考察

百汁百菜

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 手元のデバイス(パソコンやスマホ)でAIサービスを使っている限りは、無料で使えて嬉しいなー、楽しいなー、次は何をしてもらおうかなーというぐらいのことしか考えられないが、その裏では世界中の半導体がAIに回され、巨大なデータセンターが建設され、そこでは大量の電力と冷却水を要するなど、環境に負荷を与えている。

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 世界中の人々が、AIとのやりとりの最後に「ありがとう」などのお礼の言葉をなくすだけで、無視できない量の電力節約につながるというニュースがあった。たった1回の会話のラリーをやめるだけでも、世界中の人が同時にそれをやれば馬鹿にならないほどの影響力をもつほどまでに、AIは我々の生活に浸透している。

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 先ほど「浸透している」と書いたが、巨大テック企業はAIの押し売りを仕掛けてきている。頼んでもいないのにAIを利用させられているのだ。我々は塩をかけられた野菜のようにAIを浸透させられている。
 たとえばGoogleで検索すると、勝手にAIがネット上のデータを拾ってきて、検索結果の一番上にサマリー(要約)のようなものを作ってくる。かつて、検索結果のトップは広告まみれだったが、それを押し退けてまでもAIのサマリーを持ってくるほどに、GoogleはAIに力を注いでいるのがわかる。

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 Googleをはじめとするテック企業はさまざまなサービスを無料で提供している。では、ユーザーたちはまったくの代償なしにそれらのサービスを利用できているのか?否、そんなはずはない。テック企業はユーザーの行動を逐一監視し(暗号化はされているだろうけれど)、消費行動や趣味嗜好、果ては思想の傾向までもデータとして収集して、パーソナライズ広告などに利用している。利用規約に同意し、アカウントを作成した時点で、ユーザーはテック企業の商品の一部になっている。AIの場合は言わずもがな、学習元としてユーザーのデータが利用されている。

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「タダより怖いものはない」とよく言うが、タダのつもりで使っているものや、タダだからいいよ、ともらったものの裏には思わぬ代償が潜んでいる。親交が深い者同士でモノの融通があるというのならまだしも、特に仲良くもない人だったり、別に贔屓にしているわけでもない店から「タダであげる」と言われたり、「無料プレゼント」がもたらされる場合、相手が求めているのは何らかの「お返し」である場合は多い。「タダであげる」ことで負い目を感じさせ、何らかの返礼行動を引き出そうとしている。
 たとえば「ボックスティッシュ1箱無料プレゼント!」に釣られていった店で、それをもらうだけだと、なんとなく申し訳なさが生まれ、買うはずのないものを買ってしまったらそれはまんまと乗せられてしまっている。

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 そういう意味では相手からもらえるものはもらって、なんにも返さない「テイカー」がこの世では得をするように見える(逆に、与える人は「ギバー」。どちらでもなかったり、状況によって変化する人は「マッチャー」といわれたりする)。
 実際、関わりの薄い人間関係や、別に通うつもりもない店に対しては、このテイカー気質で成果やモノを巻き上げるのが、人生イージーモードのコツなのかもしれない。だが長期的には手痛い代償を払うことになるだろう。とくに人間関係においては、だんだんと周りに人がいなくなり、孤独になるのは避けられない。
 しかしテイカーも負けていない。次の寄生先を探して歩き回り、搾り取っては捨ててやろうと息巻いている。テイカーと呼ばれるような人間が存在し、周囲に不都合、不平等を押し付ける限り、世界が公正で平等に運用されることなどありえない。

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 人生において、嫌なことは徹底的に避けて、いいことばかりを経験したいという人は多い。芸術家でもない限り、自ら「マイナスに飛び込」む人などそうそういない。
 公正世界仮説といわれる認知バイアスが人間には備わっているとされる。全ての正義は報われ、全ての罪は罰せられるという考えが根底にあり、苦しんだならそのぶん報われるはずだし、何か悪いことが起きれば、それはその人に何らかの落ち度があったとみなすような考えがそれである。
 そんな公正世界仮説の支持者にだって先に述べたような、人生の嫌なことは避けて、いいところだけを味わっていたいというような考えをもっている人はいるだろう。しかし、もし公正な世界が本当にあって、厳密に適用されるのであれば、「報われた」からには相応の「報い」がもたらされなければいけないはずなのだが、こういう考えは都合よく無視される。

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 公正世界仮説に則れば、テイカーはいずれ罰せられなければならないだろう。だが、現実はどうだろうか。確かに人が離れていって孤独を味わうようなことは多いだろうし、深い仲の友人には恵まれないだろう。キャンセル・カルチャーの拡大によって、社会的地位を得ても引きずり下ろされるかもしれない。だからといって全てのテイカーが罰せられているのかといえばそうではない。
 奪うだけ奪って、周囲に煙たがられても、好き勝手やって満足して死んでいくような人間だっている。また、生まれた環境によって、無自覚のうちにテイカーとなって収奪を繰り返す人もいる。それを悪と思わないよう、厳重に覆いがかけられた中で消費をおこなうような場合がそれである。

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 ジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』において、収奪する側に回っている先進国と、搾取される立場にある国々(今でいう、グローバルサウス)の差は単に地理的な問題であって、ある特定の人種が優れていたり、劣っていたわけではないと説明した。
 ユーラシア大陸に住んでいた人々は、ただ単に運がよかったのだ。栽培、改良が容易で高カロリーを摂取できる作物に恵まれ、家畜として利用できる動物に恵まれ、それを伝播して互いに文化や技術を交換できるルートに恵まれた。大陸をタテに移動するよりも、ヨコに移動するほうが環境の変化が少なく、作物や動物も土地に馴染みやすい。ユーラシア大陸はまさにヨコに長い大陸だったことで、僥倖に恵まれたのだ。
 一方のアフリカ大陸や南北アメリカ大陸は縦に長く、またその間を峻険な山々や不毛の砂漠が遮り、人々の往来を妨げた。また北で育つ作物が南では育ちにくかったりして、仮に人の往来が生まれたとしても、技術が広がらなかった。
 人々に生まれながらの違いがあったとすれば、それは人種ではなく、生まれた大陸の差だったのだ。

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 この生まれながらにしてただ幸運だっただけの人間は、自覚なしに収奪者になっている場合がある。生まれながらにしてそうするのが当たり前だったから、疑うこともないのである。収奪したものにまとわりつく「臭い」が徹底的に除かれ、綺麗に包装されて収奪者のもとに届くというシステムがそれを助長する。そして、そのシステムは、もはや人間の意志などを超えたところで運用されるようになった。

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 こうしたシステムのもとでは、カネさえ払えば他の代償は払わなくてよいという場合が多い。といっても、そのカネを得るためには、人は骨を折り、その身を粉にするといった代償を払うのであるが。

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 カネの基本は交換性にある。人の労働に値段をつけて、他のモノと交換できるようにしてしまっただけでなく、人の労働について回る価値の高低がその人の価値であるかのような認識を植え付けた。モノだけでなく、人の価値までも飲み込んだことで、カネはあらゆるものの尺度となった。その結果、人はカネ以外に失われているもの、支払われている代償についての視点を失った。

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 自身の時間を労働に捧げる、ということは自身の生をカネに換えているといっても過言ではないはずなのだが、あまりに自明すぎるためか、あるいは死について考えないことによって生は無限であると思い込んでいるためか知らないが、生を切り売りしてカネに換えることに抵抗感を覚える人はそう多くない。もしそれに抵抗を覚えたのであれば、その人は「社会不適合者」の烙印を押されてしまう。

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 生あるところに死があり、そして死はまた次の生へとつながる。だが、人はカネを用いた交換の裏にある死についての想像力を奪われた。

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 荘子は妻の死に際して、両足を投げ出して盆を叩き歌っていたという。確かに最初は悲しかったというが、何もないところから生まれ、また、何もないところに帰っていくという生命の運命に思いを馳せれば、なにも悲しむことはなく、ただ季節の巡りと同じであると悟ったのである。
 そんな荘子の死に際にあっても、「天と地が私の棺だ」といって、手厚く葬られることを拒否した。「それでは鳥たちに啄まれてしまいます」と心配する弟子たちに対し、「地上にあれば鳥たちに啄まれて、地下に埋められては虫たちの餌食となる。どちらか一方にだけ与えて、どちらか一方から奪うというのは不公平だ」といった。自らの死が他の生につながることを荘子は受け入れていた。

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 死について考えないことで無限の生を享受しようとしている。

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 死はその辺に転がっている。他者の死によって我々は生き永らえている。日々の食事だって悪趣味な言い方をすれば、死体の飾り付けパーティである。

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 いずれにせよ他の命を奪うことしかできないのなら、せめてもの思いで、美味しく頂こうとしてきた人間の創意工夫には敬服する。

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 その辺に生えている雑草はともかく、野菜をただ植えただけでは、人間が望むような美味しい実をたくさんつけたり、その体を大きくすることはできない。必ず水と光と、そして肥料が必要になる。その肥料は化学的な合成によって作られることもあるが、古くから用いられていたのはやはり人間や家畜の屎尿である。ではその屎尿は何から生まれるかといえば、むろん何かを食べたあとに消化しきれなかった残りのカスである。また、腸内細菌やその死骸、古くなった腸の細胞も含まれているという。要するに、死したものたちが新たな生に力を与えているのである。
 自然界では動物の死骸がそのまま肥料として大地に吸収される。遺体からの滲出液が一度は周囲の草を枯らしてしまうが、遺体の分解が進み、養分が大地に取り込まれると、その後はより一層草が生い茂るようになるという。死なくして生はない。

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 殺すことで生かすということ。時代劇、冒険活劇、そして現代では特撮ヒーローにまで受け継がれた物語の作り方。

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『仮面ライダークウガ』ほど、力を振るう責任や代償について真摯に向き合った特撮作品はないだろう。主人公、五代雄介の身体を徐々に蝕んでいくアークル(変身のために使う霊石が埋め込まれたベルト)、五代が死の淵に立つことで偶然手にした金色の力、仮面の奥で涙しながら戦う五代……。平成ライダー第一作にして異端の作品。

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 何かを代償に力を得る、というのは種々の物語における定番であるが、人はもはやこうした物語の中でしか、力を行使することの代償について思いを馳せることができない。なにかにつけて「払う」となればもうそれはカネのことしか考えられない。

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 支払った代償(=労働)に見合うだけのカネをいったいどれだけの人が得られているのか。だいたい、労働に「見合う」とはなんだ。カネという便利な尺度はある意味人を盲目にする。「市場価値」などというくだらないワードが人材系では訴求力を持ち、労働者の側もそれを真に受けてしまっている。

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 カネだけで繋がっている関係だからこそ割り切れる、後腐れがない、ということは十分にある。

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 誰かの狼藉のツケは、公正な世界であればその人に降りかかるが、実際のところは社会全体にツケが回される。分配された状態でツケが回ってくるならまだしも、特定の個人に固まって降りかかることだってある。
「代償」はまさに、他人が与えた被害を本人に代わってつぐなうことである。

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 人類の罪を背負い、それを贖うために死んでいった一人の男。世界はいまだにその一人の死をひきずっている。

関連百汁百菜

今回の一汁一菜

2026/06/05分(上)

スナップエンドウ・じゃがいも・ぶなしめじ・ウインナーの卵スープ
梅ひじき

2026/06/06分(下)

上と同じスープ
カレーパン、ごぼうサラダ入りのごまチーズパン

茹で鶏を作った際にできたスープを利用。

参考文献

・アダム・グラント(著) 楠木建(監訳)『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』三笠書房
・ジャレド・ダイアモンド(著) 倉骨彰(訳)『銃・病原菌・鉄』草思社
・野村茂夫『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 老子・荘子』角川ソフィア文庫

著:アダム・グラント, 監修:楠木 建
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