何か新しいことを始める際、外に向かって高らかに宣言する人を見かけるが、僕は何かを始めようとするとき、決意は表に出さず胸に秘めたままの不言実行がよいと考えている。前回(0092)で「YouTubeはやりません」と言ったくせになんだと言われるかもしれないが、これは「やらない宣言」であって、何かを「やる宣言」ではないから見逃してほしい。「いや、何かをやらないということは何かをやることの裏返しなのであって……」などと言われてしまえばもうこちらから言うことはないのだけれど、とりあえずこれからの話は、「やる宣言」のほうを念頭に置いて進めさせていただく。
何かを始めるとき、宣言せずにおれない人は、そうして他人に自分の決意を聞かせることで自分を奮い立たせ、また、言ったからにはやらねばならない状況に自分を追い込もうとしているのだろう。そうして自分ではなく、他人を起点にしてモチベーションを奮い立たせる人を意志薄弱と断ずるわけにはいかない。こういう意志の固さ、強さは生まれ持ってのものと、自分がやりたいことを肯定されて生きてきたか、あるいは否定されて生きてきたかで変わってくるだろうから一概にいい、悪いということもできない。
ただ、やはり他人にモチベーションを置くのは失敗しやすいようにおもう。どうしたって他人は変えることができない。他人の期待を満たしつづけることもできない。そもそも期待させただけのパフォーマンスを自分ができるか、というのも未知数なのである。
まあ、こうした宣言があらゆるところでなされて、そして消えてゆくのはよくあることである。たとえばアニメでも「劇場版公開決定!」とか「続編決定!」とか宣言したくせに音沙汰がないものは結構あるだろう。その中には20年越しに劇場版が実現し、あまつさえ大ヒットするというようなこともあったけれど。
僕はこの「百汁百菜」を誰にも相談せず、また「やる」と宣言することもなく、なんの予告もなしに始めた。始めたのにすぐ投げ出したのがバレたらダサいというのもあるけど、宣言してしまうことによって、自分の言葉によって自分が縛られてしまうのが嫌だった。まだ始まってもいないのに展望を述べ、あれもやります、これも書きますなど言ってしまえばその通りにしないといけないような気がしてしまう(どうせ破ることになってしまう)。また、「週n回更新します」なんて、ただの予感なのにできそうな気がするというだけでものを言ってしまえば、それを守れそうになくなったとき、いたずらに自分を傷つけるだけである。そう考えると、公約を破っても平気な顔をしていられる政治家の面の皮の厚さよ。実際はちょっと傷ついていたりするのかもしれないけれど。
また、最初の宣言なんて、何も始めていないところで行われるのだから、ふわっふわでなんの具体性もなく、ただの期待と可能性が述べられるだけであって、もはや宣言する意味がないとさえ考える。実は裏で準備が進んでいて、それを踏まえて宣言しているのならまだしも、まっさらのところに立ち上がるのは膨らむばかりの想像力である。口にした瞬間溶けてゆくふわふわパンケーキがごとく、その瞬間は幸せでもすぐに消えていってしまい、本当にそれは「あった」のかどうかすらわからないようなことになる。
高らかに宣言する文章を考えるぐらいならまず走り出して地盤を固めていったほうがいい。裏でこっそり始めて、ダメだったらダメでやめてしまえばいい。誰にも言わずに始めて、誰も知らないところで終わったのなら、傷つくのは最小限で済む。変に宣言してしまったせいで「オマエ、あれはどうなったんだよ」なんて言われなくて済む。また、どうせやっているうちに最初に宣言した内容なんて守られなくなって、訂正する羽目になるのだから、最初っからなにも言わなければいいのである。
他人の目が気になる人を窘めるときに「誰もあなたのこと気にしてない」ってよく言うけれど、友達間、家族間では「そういえばアレどうなった?」って意外と気になってたりするもんである。「やめた」って言うと、「あ、そうなん」でサラリと流されて終わることがほとんどだろうけど、近況や進捗を聞かれてしまうと一瞬ギクリとしてしまうだろう。「そうなん」で流された奥にある「(またすぐにやめたな)」という呆れや諦めを想像せずにはいられない。そうした不意打ちを喰らわないために、変に宣言してギクリの種は蒔かないほうがいい。宣言しないことは、自分を守ることなのである。
宣言したうえで本当に実行してしまうのもカッコいいけど、黙って始めて継続するのがやっぱりカッコいいとおもう。僕は後者のほうに美学を感じる。ただのカッコつけだと言われようと、男なんてやっぱりカッコつけてなんぼなのである。黙って始めて「そういえば最近なんか変わったみたいやけど……」と言わせればしめたものである。また、「実は〇〇を自分に課していたのを、この度達成しました」というように、事を成し遂げてから宣言するほうに粋を感じる。
noteに昔書いた、「平日夜の食事を一週間一汁一菜にしてみた」(外部リンク)みたいな記事も、「今日から一汁一菜にします」と宣言して書いたのではなく、達成してから書いたものになる。ちなみに、今更一汁一菜を続けている期間は数えていない。たぶん2年半とか?ううむ。もう日常に溶け込みすぎてわからない。
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2026/04/21分
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大根と鶏肉の煮物(2日目)








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