0137 さけるチーズがうまい

百汁百菜

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 チーズには子どもの頃の文字通り苦い記憶がまとわりついている。おそらく僕がはじめて食べたチーズはいわゆる6Pチーズであった(雪印か十勝かは覚えていない)のだが、それがもう、子どもの繊細な舌にとっては旨みを感じるよりも前に酸味とえぐみを敏感に受け取ってしまい、実際に苦かったわけではないだろうけれど、苦いものとして記憶されてしまった。

 小学校の給食ではたびたび動物の顔の形に成形されたチーズが登場したりしたが、周りがどの動物に当たったか見せ合ったり楽しんでいる中、ひとりチーズを前に肩を落としていた。残してしまおうかと考えたが、別に残すほど嫌いでもなく、でも好きでもないから、パンとチーズを共に口に含み、牛乳で押し流すように食べていた。
 チーズとはあまりよくない出会い方をしてしまったからか、今でも初めて食べるチーズとなれば若干身構えてしまう。それにチーズがのびる、たれる、したたる様を見せつけて食欲を喚起するような広告には一切反応しない。むしろ下品さすら感じて避けてしまう。まあ、それはそれで助かっているところが大きいと思うけれど。

 とはいえ大人になるにつれ、だんだんと食べられるチーズの幅は広がっていき、子どもの頃は「とろける」スライスチーズとクリームチーズぐらいしか食べなかったものが、今ではチェダー、ゴーダ、モッツァレラ、カマンベールぐらいは普通に食べるようになった。だけど6Pチーズは初対面以来食べていない。「子どものおやつに!」と6Pチーズのプロモーションをしている様子を見ると、メーカーには悪いけれど正気か?と疑ってしまう。

 そんなチーズに愛されていない僕がとうとう手放しで褒められるチーズに出会った。それが「さけるチーズ」だ。歴史を見れば1980年からあったらしいのだが、目につくようになったのはここ数年。だけど僕の中ではこの数年でさけるチーズの存在感は急速に大きくなっていった。

 まずなんといっても味が非常に僕の嗜好に合う。公式サイトによれば、「熟成させないタイプのナチュラルチーズ」ということで、熟成で得られる深みがない分さっぱりとしつつも、ミルク感を湛たたえたコクのある味わいで、チーズを特段好まない僕でも食べやすくなっているのだろう。モッツァレラに関しては比較的好んで食べるが、そういう嗜好からしても、やはり僕はチーズの熟成香に苦手意識を持っているようにおもわれる。
 そして、長く楽しみたいからとチビチビ細く裂いて食べてもしっかり食感が残るのが面白い。舌にねちょっと絡むようなこともなく、ただひたすらに気持ちのよい食感が僕の官能を満たす。贅沢に太く裂いたりそのままかぶりつく……ということも考えたことはあるが、やっぱり僕は貧乏性なのか、チビチビ細めに裂いて食べるのが一番いい。
 すっかり味と食感が気に入って、友人宅で飲み会をするということになれば、まず僕はこのさけるチーズを持ち込む。そしてひとりで一本を握りしめると、細々と裂いて食べ、ワインをちびちびと飲やるのである。
 2026年現在、さけるチーズは6つの味で展開しているそうだが、結局一番うまいのはプレーンである。他の味はメーカーには悪いけれど、とってつけたような味わいで、牛乳のうまさを一番感じられるプレーンがやっぱり一番だ。

 友人との飲み会といえば、さけるチーズの前はQBBのベビーチーズを度々持ち込んでいた。こちらはクセが6Pチーズよりも穏やかで僕でも食べられるし、なんといっても安いからよく利用していた。もし子どもの頃、最初に与えられていたチーズがベビーチーズだったら?と考えてみたが、それはそれで結局子どもの繊細な舌には刺激物として捉えられてしまったかもしれない。今になってベビーチーズを食べるから美味しいと思うのであって、子どもの頃口にしていたらどう感じていたかはわからない。

 大人になるということは、鈍感になっていくということだというのを僕はチーズを通して考える。僕が食べられるチーズの種類を徐々に広げているのは、慣れの問題というよりも鈍感さの獲得ではないかと思ったりする。かつては敏感に感じ取られていた好ましくない味と香りを、大人になって受け止められるようになったというよりは、感じにくくなっているだけなのかもしれない。
 ピーマンが平気になるどころかそこにある甘みに気づくようになるのも、苦味に対する感受性が鈍麻しているからだろう。それまで気づけなかったことに気づけるようになったからといって敏感になったかといえば、僕は必ずしもそうだとおもわない。

 僕は「グルメ」であるためにはある種鈍感でなければならないと考えている。ここで言う「グルメ」とは、特定の食べ物に嗜好が偏っているさまを揶揄していうものではなく、美味佳肴を追求し、情報収集と実食に余念のない人のことを指す。
 世の珍味の中には口にするのを躊躇ためらわせる見た目や食感を持っているようなものもあり、そういうのにいちいち敏感であっては「グルメ」は務まらない。鈍感さを備えつつも、敏感な感受性を発揮してその味わいを掴まえられる人こそ「グルメ」と呼ぶにふさわしい。
 感受性を擦り減らさないままに、鈍麻してゆく感覚を受け入れ、楽しむことができればそれこそまさに「大人の愉しみ」というものが立ち上がっていく。問題は感覚と同期して感受性も一緒に擦り減ってしまうことなのだが。それにちょっとでも抵抗したいのならば、僕の場合、まずはブルーチーズを食べてみることからはじめていかねばならないだろう。そこはまず、6Pチーズからではないのかと言われたら返す言葉もない。

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