0109 熊本の思い出

百汁百菜

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 まずはじめに、2026年7月28日に熊本県を中心に発生した地震において、亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、被災された方々へお見舞いを申し上げます。

 今から約8年半前(2018年の2月下旬)、大学四年の冬は色々と立て込んでいて友人たちの都合がつかず、ひとり卒業旅行と相成ったのだが、そのときの行き先の一つとして熊本を訪れていたものだから、今回の震災の報にはショックを受けた。当時は2016年に起きた熊本地震の爪痕が残っており、とくに熊本城は復旧工事の真っ最中で、これからまさに立ち上がっていくぞ!という中での訪問だった。熊本城が復活したらいずれまた来ようと、ずっと考えてはいたのだが、なかなか機会を作れずにいた中での出来事だった。
 ひとり卒業旅行の間は、本当にいい思い出ばかりだった。人に恵まれ、食事に恵まれた、男ひとりなのに、いやむしろひとりだったからこそ暖かく迎え入れてくれたのが熊本の皆さんだった。そんな熊本を再び地震が襲ってしまった。熊本に恩を感じている人間のひとりとして、今何ができるかと考えたとき、まずはその約8年半前の熊本旅行を振り返って、少しでも熊本のよさを伝えるのがよいのではないかと考えた。復興の暁にはぜひ皆さんも熊本を訪れてほしいし、僕も行こうとおもっている。

 大学四年の冬、就活で東京には行っていたから、西のほうに行きたいと考えていた僕は、未だ訪れたことのない九州に行こうと考えた。そこまでバイトに精を出していたわけではなく、出せるお金に限りがあったから、九州全県を回るのは諦めて、福岡と熊本に絞って訪れることにした。
 ひとり卒業旅行の旅程としては、まず深夜バスで福岡に乗り込んで1日観光したのち、熊本に向かってレンタカーを借りて阿蘇山へ行き、最終日は熊本城を見物して新幹線で帰る、というものであった。
 福岡でもつ鍋を食べ、焼きラーメンを食べ損ねて一夜を明かし、翌朝11時に熊本駅でレンタカーを借りるという手はずだったのだが、僕は京阪神の緊密で稠密なネットワークに慣れすぎていて、すっかり福岡と熊本の距離感を見誤っていた。てっきり快速なりに乗ればすぐ熊本に行けると勘違いしていたのだ。のちに鉄道に詳しい友人からは、新幹線か特急に乗る距離だと言われたこの福岡→熊本の道のりを、僕は西鉄福岡(天神)から大牟田駅まで行き、そこからJRに乗り換えて、2時間半以上かけて熊本駅まで行ったのだ。11時に熊本駅に着くためには朝をゆっくり過ごしているわけにはいかず、通勤する人々に紛れて西鉄に乗り込んだのを覚えている。

 熊本に着いてまず阿蘇山を目指したのは、小学校の頃、音楽会で阿蘇山をモチーフにした歌、その名も『阿蘇』(小林秀雄作曲、「火のくにのうた」より)を合唱したからである。なんで関西に住んでるのに阿蘇なんだとおもっていたが、それはそれとして、音楽会に向けて一生懸命練習して何度も歌っていれば、近所の山よりは親しみをおぼえるものである。一度はこの目で阿蘇からの景色を見て、阿蘇の土を踏まねばならないとおもっていたから、この機会にとレンタカーを借りて行ってみた。
 確か当時は火山活動が盛んで入山規制がかかっており、火口に近づくことは叶わなかったのだが、カルデラとそこに生まれた市街地の対比が自然の雄大さをいっそう引き立てており、その風景を目にしたときは、運転中であったのに思わず息を呑んでしまったことを思い出した。

 熊本駅に帰ってからは、まずその夜のホテルを目指した。駅と市街地が離れており、路面電車で熊本城近くに向かう。今なら考えられないが、ホテルの価格比較サイト経由で、とても大学生では泊まれないようなホテルの一室を格安で取ることができた。ベッドに横になりながら、じっくり夕餉の店を吟味する。なんとしても馬刺しは食べたいとおもっていたから、取り扱いのあるところを探してのれんをくぐった。
 大学生男ひとりでも快く迎え入れてくれて、軽くお喋りしながら、馬刺しをあてにビールを呑んでいると、常連とみられる壮年の紳士が話しかけてきた。「熊本に一人で来て、この店を選ぶとは見る目がある!」だなんて褒められ、なぜか気に入られ、「さあ行くで」と食事もそこそこにスナックに連れ出されて一杯ごちそうになった。なにせ8年以上前だし、酔っていたし何を話したかはほとんど覚えていない(唯一、「男」の話をしたのは覚えているが、ここで書くのはやめておこう)。でも紳士は終始ご機嫌で、異邦人ともいえる僕をすっかり歓迎してくれていたのはよく覚えている。「熊本に来て何かあれば連絡しなさい」と名刺を貰って見てみれば、「代表取締役」ではないか!今もお元気にしておられればよいのだけれど。

 熊本の夜で熱烈な歓迎を受けた翌朝は、まずモーニングを食べにホテル近くの喫茶店へ。そこではカウンターに座り、マスターと軽くお話しをさせていただきながら食事をとったのだが、なんと(当時)僕がこれから就職する会社と付き合いがあるということで、なにかしらの縁を感ぜざるを得なかった。ちなみに、そのとき、「昼は大平燕タイピーエンにしようとおもうのですが」と言ったら、苦い顔をされて、「大平燕か……」とおっしゃった。もしかして地元の人は、わざわざ食べるようなものではないとおもっているのか?ちょっと不安になった。

 モーニングを食べたあとは熊本城へ。復旧工事が進む中、まだまだ2016年の地震の痛ましい爪痕が残っていた。崩れた石垣や、今にも倒れそうになりながらも堪えた櫓を見て、往時の姿を偲びながらも、復興のシンボルとしての早期の復興を願ってやまなかった。とはいえ、これは東浩紀ふうの「観光客」の無責任さを承知で言うのだが、2018年の、復旧途中の熊本城の姿はそのときにしか見ることができないのだから、工事の途中だからとか、崩れてしまっていて残念だとかおもうようなことはなかった。むしろ、今しか見れない光景だと思ってじっくりと観察し、目に焼き付けた。

 喫茶店のマスターは「大平燕か……」とおっしゃったが、熊本にまで来ていて、今更大平燕を食べるのをやめるわけにもいかないから、初志貫徹で大平燕を食べに行った。カップ春雨の類で「大平燕味」みたいなのは食べたことがあったから味の想像はついていたが、やっぱり本物は一味違った。具材ゴロゴロながらも、それぞれにほどよくスープの味が染み込み、薄くもなければ濃くもない、滋味あふれる味わいは僕の好むところであって、最後まで美味しくいただいた記憶がある。
 確かにマスターの危惧もわからないでもない。というのは、こういう薄くもなく、濃くもない中道な味わいでピタッと「うまい」ものを作るのはとても難しいからだ。店によって当たり外れが大きそうな味である。そして、僕はおそらく当たりの店を引くことができた。あれから僕は大平燕を食べていない。やっぱり本場でないといいものに巡り会えそうにもないから、これでいい。

 最後は新幹線で関西まで一気に帰る。くまモンに見送られながら熊本を出発した。そして、僕は未だに熊本で買ったくまモンのキーホルダーを使っている。今改めて見てみると擦れに擦れまくっているからさすがに替え時なのだろうけど、やっぱり熊本での思い出が僕にとって大事なものなのだろう。なかなか替えられずにいる。ならば、熊本復興の暁には、新しいくまモンキーホルダーを買いに熊本に行こう。もはや熊本を飛び出しているくまモンだから、アンテナショップと言わず、どこだってくまモングッズは手に入るだろうけど、やっぱり熊本に行って買わないと。

 最後に『阿蘇』の歌詞を引用して終わる。

〽︎今度また来るからね
 大きくなって来るからね
 その次また来るときは
 恋人連れて来るからね

恋人連れていくかはわからないけど、また行きます。必ず。

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今回の一汁一菜

2026/05/13分

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白菜の漬物
鶏の唐揚げ、イカの唐揚げ

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