1995年は人々の心胆を寒からしめる事件が次々におこった年であった。1月の阪神・淡路大震災、3月の地下鉄サリン事件。人々の身体と心、そして街にも深い傷跡が残る事件であった。
1995年は現代日本の重要な分岐点と目されている年でもあり、皆が夢から完全に覚めてしまった(覚まされてしまった)一年といえるのではないだろうか。戦後の復興から高度経済成長を経験し、さらにはバブル景気によって、上昇するばかり、よくなるばかりの日本といった夢が完全に破れたのだ。90年代初頭にバブル崩壊を経てもなお、「それでもまだなんとかなる」と思っていたところに、立て続けに起こった2つの事件によって止めを刺されてしまった。そんな年に僕は生まれた。
震災時、尼崎にいた母親は家が壊れたものの難を逃れたからこそ僕が今ここにいる。僕の通った小学校(だけではないとおもうが)では震災教育に力を入れており、年に1度は防災訓練をおこない、その後は阪神・淡路大震災について学ぶ時間が設けられていたし、1月が近くなれば震災に関するビデオはよく観た。燃える神戸の街、崩れた阪神高速、落ちそうになりながらも堪えたバス。そして「しあわせ運べるように」の歌。ありとあらゆる方法で震災についての教育が施された。だが、やはりどこか遠い出来事のように思えてしかたなく、震災教育の度に「またか」とおもうことさえあった。それが破られたのはやはり東日本大震災を目の当たりにしたからだろう。
忘れもしない、中学校の卒業式のあと、あの日はなぜかやたらと涙を流して疲れてしまったから、少し昼寝をしていた。15時前に目が覚めてテレビをつけると東日本は未曾有の災害に見舞われていた。そのときは報道ヘリコプターは炎上する工場の様子を映していたような覚えがある。それからは津波、そして福島原発事故……CMはすべてACジャパンのものに差し変わり、世間の空気がガラッと変わったのを肌で体感した。
それに引き換え、地下鉄サリン事件についてはまるで教えられることなく生きてきた。なんとなく、阪神・淡路大震災のあとにとんでもない毒ガス事件が起きた、ぐらいの認識しか持ち合わせていなかった。事件前後の過熱する報道にすっかり嫌気が差したのか知らないが、オウムのことはみんな忘れたがっているとみえて、まったく話題に上がってこない。それでも30歳になり、1995年がやっぱり現代日本の分水嶺だというような評論も目に入ってくる中で、知らないわけにはいかないだろうと、村上春樹の『アンダーグラウンド』および『約束された場所で——underground 2』を繙いた。
出版の順序とは逆に、最初に手に取ったのは『約束された場所で』のほうで、こちらは村上春樹がオウム信者・元信者にインタビューしたものが集められている。僕はまず、オウムに入信しようとするのはどんな人なのかを知りたいとおもった。というのも、どうも僕らの世代はオウムどころか、宗教そのものに対して忌避感や抵抗を感じている人をよく見かける。中には「宗教=悪いもの」というイメージすらもっている同級生もいる。それはやはりオウム(だけではないとおもうが)の影響だろう。
僕はまた別の理由で宗教への忌避感を感じていた時期もあったが、読書によってそれは薄れ、むしろ宗教者の思想に迫りたいとさえおもうようになった。その延長線で、「なぜ、よりによってオウムに」という思いが立ち上がってきたので、まずはオウムの信者・元信者の声を聞こうとおもったのだ。
村上春樹も語っていたところだが、やはり読んでいて思うのはオウムの信者・元信者は「いい子」が多い。むしろサリン事件被害者のほうがクセのある人物がいた、というのは納得できる。上昇・発展を続ける日本にはやはり歪みができていて、そこで感じた違和感を敏感に受け止めてしまえる、ピュアな人がオウムに吸い込まれていってしまったのだ。麻原の示す世界観は現実と比べるとひどく単純でスッキリしていて、些細な違和感を見逃せずに心身をきたしてしまうような人にとってはまさに救いであった。現実になじめず、自分の居場所はここではないと感じてしまうような人たちが、オウムのストーリーの中では、煩悩にまみれて汚れた世の中を純化する正義の戦士になれるのだ。
麻原がしたことは、大きな物語としての歴史を語ったことです。イスラム教徒との宗教戦争があり、一九九九年にはハルマゲドンが起こる。オウムはこれを回避するための超能力者の宗教集団なのだという歴史ないしは思想を語って、そのストーリーの流れの中で、一人ひとりの信徒にそれぞれポジションを与えるということを麻原はしました。
(中略)
こうして麻原が語る妄想的な歴史の中に、この後どういうふうに生きてどういう役割を果たすのかという歴史的なビジョンが、土谷(引用者注:土谷正実のこと)をはじめとした信徒一人ひとりに与えられていきました。しかもこれらはストレートに与えられるのではなく、謎かけのように断片的に、「土谷、オマエはいつか人を殺すんだよ」「いや、それはオレを守ってすることだ」といった感じで与えられます。大塚英志『メディアミックス化する日本』p.195〜196
麻原は種々の宗教、聖典のみならず、漫画・アニメからの引用もさかんにおこない、大塚英志のいう「物語消費的なメディアミックス的語り」を行って信者を物語の中に回収していった。物語消費的なメディアミックスとは、まず物語の根幹となる「世界観」としての情報があり、そこに「断片」としての物語を語る人間が幾重にもコミットして物語の隙間を埋めていく消費形式のことであり、最近の二次創作をも巻き込んだアニメ・ゲーム・マンガのコンテンツ展開では基本となる考え方である。
これを援用して、麻原が「世界観」の提示と「断片」の提示を行い、その「断片」を受けた人々が想像力を膨らませて、自ら麻原の「世界観」へとコミットしていく(そして帰依してゆく)というかたちでオウムの物語はつくられていったというのだ。
「世界観」を提示してサーガ的に種々の物語を語り、読者・消費者を引き込んでいくというメディアミックスは当時からさかんになっており、村上春樹もその送り手の一人に数えられていたのであるが、それと同じ方法で「自分たちの教義を「世界観」ないし「大きな物語」として提示した」(『メディアミックス化する日本』p.194)ということに当時のクリエイターたちは衝撃をもって受け止められたという。その「世界観」が村上春樹にいわせれば「ジャンク」の寄せ集めにすぎなかったというのもまた衝撃だったのだ。アニメ的で夢想的で、荒唐無稽な「世界観」にもかかわらず、エリートと呼ばれるような人々まで帰依していった。
エリートならば荒唐無稽な「世界観」を退けられたはずなのに、という言説は多いが、僕はこれには同意できない。いくらエリートとはいえ、彼らは現実という物語に回収できない自己の存在に敏感な人だったのだ。世界のことがよく見えてしまうがゆえに苦しんでいた部分もあろう。彼らにはそんな世界のわけのわからなさを解決するシンプルな物語が必要だったのだ。そんな自己を認めて、「世界観」に組み込んでくれる教えがあれば人はあっさり転がり込んでしまうだろう。これはオウムが提示する物語に限ったことではない。努力すれば、勉強すれば、いい大学に入っていいところに就職すれば安心だといったシンプルなストーリーにだってあてはまる。まあ、もはやこの「世界観」も崩壊していて、次の「世界観」は共生が物語の主軸になっていくだろう。外国人との共生、AIとの共生、変わりゆく自然環境(とくに熊)との共生……。
話がそれた。『約束された場所で』を読んでからしばらくして、ようやく決心がついたので『アンダーグラウンド』を繙いた。こちらは地下鉄サリン事件の被害者に村上春樹がインタビューしたものが集められている。その浩瀚ぶりに一度恐れをなした、というのもあるが、やはり被害者の声を聞くと自分も苦しくなってしまうのではないかとおもってしまって、やや期間が空いてしまった。
朝早い時間の電車かつ、ぎゅうぎゅうの満員電車で日々通勤する、傾向でいえば勤勉な人々がこぞって被害に遭われた。事件当日は休日に挟まれた月曜日というのもあって休む人もいたであろうに、「自分が出なくては」という使命感を強く持っていたがために被害に遭ってしまった人々がインタビューには多く登場した(むろん、インタビューを受けることを了承したという人々だから、そういう強い意志・使命感をもっているというのはあるだろう)。
読むだけで現場の混迷、紛糾ぶりが伝わり、未だ経験したことのない、日常に侵入する静かな暴力に対し、いかに人は無力かを思い知らされた。これに被害者を責めるという意図はもちろんなく、一般の人間心理としての話であることは了解されたい。異質な匂いを感じても、液体が床に溢れていても、それがまさか毒物だなんてふつう人は思いもしない。
息が苦しくなっても、鼻水が止まらなくなっても、世界が暗く見えるようになっても、ちょっと体調を崩したかな、昨日の飲み過ぎのせいかな、と人はまず自分の中に原因を探す。サリン液だって、誰かがなにかをこぼしたのだろうと考えて平静にとどまろうとするのは、人間心理として当たり前のことなのだ。オウムはそれを知ってか知らずか、そこを突いて多大な被害をもたらした。これを許すことは到底できない。
被害者同士の助け合い、また駅近辺を通りがかった車のドライバーたちが被害者の搬送に協力したという、理不尽を前にしても発揮された人々のしなやかさ、したたかさを知った一方で、オウムに対して全く危機感を抱いておらず、なんの備えもないところを突かれて崩壊した社会システムの脆弱さを知った。ようやく戦後日本は現実から襲いくる暴力によって目を覚まされたのだ。
僕はサリン事件の報道について何も知らない。ただ、被害者が口を揃えていうのはメディアの好奇の目、センセーショナルな話題ばかり取り上げる報道姿勢にはほとほと嫌気が差していたということだ。犯人の生い立ち、動機、犯人の親族や知人・友人への取材に加え、亡くなられた方の人柄などをこぞって報道していたのだろうか。今でも関心を集める事件がおこれば、逮捕の場面、犯人のパーソナリティ、事件の動向を嫌というほど見せられる。京都の児童殺害事件の報道は本当にひどかった。それを思うと、地下鉄サリン事件の報道のひどさはいかほどのものだったか、想像もつかない。
メディアは印象的な場面、人の感情を強く喚起するような物語を欲しがる。『アンダーグラウンド』で被害者たちが語った現場のリアル(村上は明らかな記憶違いを除いて、仮に順序がおかしかったり、飛んでいる記憶があっても、それが被害者にとってのリアルだったのなら、そのまま掲載するという姿勢を示していた)は、ほとんど報道されなかったからこそ、村上たち『アンダーグラウンド』チームは被害者へのインタビューを敢行したのだ。世間がセンセーショナルな話題に釘付けになっているところに、数としてしか表されてこなかった人々の声を聞きにいった。ここで東浩紀が『平和と愚かさ』で提起した数の暴力と意味の回復の問題がおもいあわされる。
東は『平和と愚かさ』の中で、中国東北部のハルビンにある「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」を訪れた際に、名前を奪われ、数字としてしか扱われなかった犠牲者の固有性=名前を回復するための展示を見た。
通称「七三一部隊」とは第二次世界大戦期に日本の関東軍が運営していた細菌戦の研究機関で、正式名称の「関東軍防疫給水部本部」の名の通り、防疫にまつわる研究のほか、細菌兵器の開発のために凄惨な人体実験を繰り返したという。犠牲者は3000人におよぶ(参考:東浩紀『平和と愚かさ』p.167)。七三一部隊では犠牲者のことをマルタと呼んで、もはや人間として扱わなかった。
この呼称には、七三一部隊の残酷さの本質がはっきりと表現されている。彼らは、犠牲者から固有性を奪い、徹底して交換可能な「材料」として、すなわち匿名の数量としてのみ扱った。
東浩紀『平和と愚かさ』、p.190
そうして固有性を奪われた犠牲者たちは、七三一部隊によって、実に無意味に殺されてしまったのだ。というのも、七三一部隊の実験はそれが凄惨なものだったわりに、既存の実験の再検証や、あまり効果を挙げられなかった細菌兵器の開発にとどまり、大した戦果を挙げられなかったという。それなのに罪証陳列館の展示内容は、いかに日本と関東軍が遠大な野望と壮大な計画をもっていたかを示そうとするものであったといい、東は「戦前の日本と関東軍の力をむしろ過大評価している」(『平和と愚かさ』p.198)と、展示内容に多少の違和感を表明している。この違和感に対して、東はこう考えていた。
現在の日本人は、戦前の日本が、いかに非科学的で、精神主義的で、大局的な見地に欠け、現場のメンツやその場かぎりの弥縫策によってバカげた試みを繰り返し貴重な人命を浪費した国か、いやというほど教えられている。
(中略)
けれども、ここで同時に問われなければならないのは、中国側、すなわち被害者側である罪証陳列館の展示者が、その真実に耐えることができるのか——否、そもそも耐えるべきかどうかということである。東浩紀『平和と愚かさ』p.199〜200
よって、被害側は犠牲者の死が無意味ではなかったことを示すために、加害側には遠大な野望があり、壮大な計画があったのだということにする必要があったのだ。犠牲者から奪われた死の意味を回復させ、名前を与え直す必要のためには、こうした物語が必要であった。
要するに、「そんなことのために殺されたのか」ということに、被害者の遺族は耐えられない。被害者が死んだことには意味がなければ浮かばれないのである。こうして物語は作られて、加害側の無意味性は忘却されていく。しかし、東はいう。「真に記憶されるべきはまさにその愚かさのように思われる」(『平和と愚かさ』、p.205)と。
村上春樹は地下鉄サリン事件に関して、「被害者の固有性=名前の回復」と、「加害者側の無意味性=愚かさの暴露」の両方をやってのけたといえる。前者は『アンダーグラウンド』において、後者は『約束された場所で』および、その後の河合隼雄とのやりとりの中で行ったといえるだろう。
ニュースやメディアにおいて、ただ数として扱われてしまい、固有性を剥奪された被害者も、生きている一人の人間なのだと、表に出てこない被害者の日常や人間性を村上は『アンダーグラウンド』で回復させようとした。その一方で、外から見ればとても意味があるようには見えない「ジャンク」にまみれた麻原の「世界観」を暴きつつ、オウムの信者たちがみな野望、計画に燃えていたかといえばそうではなく、よく知らされていないうちに事件が起こっていてインタビュイーすらも混乱していたことを示した『約束された場所で』は、まさにオウムの愚かさをそのままの愚かさとして記憶する試みだったようにおもえる。
村上春樹と心理学者の河合隼雄との対談では、次のような話題が出ていた。やや長いが引用する。
村上 それからこれは僕の仮説なんですが、麻原の提出した物語が彼自身を超えてしまったということも起こりうるんじゃないかと。
河合 それがストーリーの恐さです。ストーリーの持つパワーがその個人を超えてしまうんです。そして本人もその犠牲になっていくんです。そうなると、もう止めようがなくなってしまいます。
(中略)
河合 だから麻原も終わりの頃には、もうやめてしまいたいと思っていたのではないでしょうか。でもやめたいと思ってもやめられないです。ヒットラーなんかもそうだったと思いますね。止めようがなくなるんです。自分が作った物語の犠牲に自分がなってしまう。麻原についてはまったくそのとおりだったと思いますね。
それとこれまで、死に関するストーリーというのが世間になさすぎたんです。だから麻原のようなあんな単純な物語でもすごい力を持つことができたんです。昔は死に関するストーリーがいたるところにありました。この世なんていうのはそもそも大変なんだから、死んでからどうやってハッピーになれるかと、そればかりだった(笑)。だから親鸞さんの話とか聞いてみんな感激していたわけです。ところが今はこの世に生きることにみんな熱心になりすぎて、死ぬということが盲点になっています。そこに彼が出てきたわけだから、若い人たちはわあっとそっちに行ってしまった。それはわかる気がしますね。村上春樹『アンダーグラウンド』をめぐって 引用は『村上春樹全作品1990〜2000⑦』p.206〜207より
死ぬときになったらお坊さんがやってくるが、だからといって死について考えることを促されるわけでもない。法然がどういう思いで念仏だけを選び取り、親鸞がどんな思いで弥陀の本願を悟ったかなんて、誰も話題にしない。「大きな物語」として共有されるものがなくなり、みんなそれぞれ、生きることに必死になった。オウムは死が語られなくなったところに乗じてストーリーを膨らませた。が、結果は村上と河合の示すとおり、麻原が示した物語が自身を超えてしまって、もうどうしようもなくなってしまったのであろう。
僕はこうして理想や夢や虚構が破裂したあとに生まれてきた。あるのは現実のみ。幼い頃の夢は野球選手、もちろんそれは適当についた嘘。生まれたときから僕はなりたいものなんてなかった。サラリーマンになる、ということもずっと実感が持てずにいた。事実、1年ちょいでサラリーマンを辞すことになった。なりたいものがないならないで、自由に、適当に生きようとおもってここ5年ぐらいは生きている。果たすべき責任など微塵も感じていない。
今の世にオウムがあったら僕はかなり危ういのではないか、とおもう。周りにも、若干あやしいタイプの人間がいる。オウム的なものに迫られたら、コロッとやられてしまいそうな人がいる。僕らにない物語がそこにはあるからだ。幸い、僕は変なものを掴まされるよりも先に法然・親鸞的な考えや、空海にも触れることができた。『老子』『荘子』も僕に大きな影響を与えている。そして一汁一菜。空っぽの僕のところに一つの軸が生まれた。まあ、今の人たちからすれば、これらのものも、「変なもの」扱いなのかもしれないけれど。
編集後記:0081からの「さめる」編はこれまでで一番書くのがしんどかったとおもうけど、ようやく終わりです。自分でテーマを決めたクセに、なかなかピタッとハマるものがなくて話題を探すのにも苦労したし、そもそも平均して文字数が一番多いのがこの「さめる」編だったと思います。ちょっと書きすぎたかもしれない。でもいずれは書かないといけないことだったから、ちょうどいいタイミングでした。次からは「のべる」編です。
関連百汁百菜
今回の一汁一菜

2026/04/15分
ほうれん草・トマト・ぶなしめじの味噌汁
ネギまみれ豆腐と冷やしトマト
大根の醤油漬け
ネギまみれ豆腐と冷やしトマトはごま油と塩で食べる。
参考文献
・東浩紀『平和と愚かさ』ゲンロン叢書
・大塚英志『メディアミックス化する日本』イースト・プレス
・村上春樹『アンダーグラウンド』講談社
・村上春樹『約束された場所で——underground 2』文藝春秋










コメント