あるエッセイストの本をはじめて読んだ時には「いずれはこんな馥郁たる香気をまとった文章を書けるようになりたいものだ」と憧れたものの、少し間をおいて再び開いてみると、なんとも文章がくどくどしくおもえて、読んでいられなかったことがある。
本当にそれを食べたとき、それを手に取ったとき、その香りが鼻をかすめたときにそう思っていたのか?と疑いたくなるような緻密で精密、かつ膨らみのある官能表現はもはや盛っているのではないかとおもえるほどであった。ウソを書いているとはいわない。でも、「ホンマにそのとき思ってた?」という疑問は湧いてくる。
その時に感じたさまざまな感覚を掴まえて言葉にするのに優れているのがエッセイストだ。そういう能力がもともと備わっていたか、鍛えられたのかは知らないが、そういう力があれば、ほんの数秒、いや数ミリ秒に感じたことだって十分膨らませて記述できるはずだ。いや、もともと人は刹那のうちに大量の情報を浴びているのにも関わらず、それを毎度毎度律儀に処理していれば脳がパンクしてしまうから、それを捨ててしまっているのではないか。ふつうの人ならそこで捨ててしまう感覚を、エッセイストはなんとか掴まえて言葉にしている。なんとなくだが、こちらのほうが正しそうな理解のようにおもえる。
そもそも、エッセイを書く行為そのものが東浩紀ふうに言えば、「遡行的に自身を訂正する」ような作業なのではないか。自分がそのとき思ったことをそのまま文章にしたって面白いはずがない。そんなことをしていたら「エモい」「すごい」「ヤバい」しかなくなってしまう。いくら随筆だからといって、本当にそのとき思っていたことばかりを書く必要なんてないのだろう。その時に感じたことを正確に伝えねばならない、というのはただの思い込みにすぎない。というのも、最近、友人たちの間で同時多発的にnoteを書く人間が現れている(そんな中、僕はもうnoteで書く気はない)のだが、そのうちのある友人は「自分がそのとき感じたことしか書いてはいけないと思っていた」という。「いやいや、そのときに自分が思ってたことを全部掴まえられてたのならいいけど、ふつうはそううまくいかないし、その時をそっくり再現しようとしてもなかなか面白い文章にはなりにくいんじゃないの」と返しておいた。
読者が楽しめるように情報を整え、出さない情報は隠し、出したい情報はその詳細を精密に描写していく。あとからこの表現がいいと思ったらそれを取り入れて膨らませていく。そうして文章には緩急が生まれ、読者はそれに気持ちよく乗せられていく……。こうして読者のツボをを気持ちよくくすぐり、翻弄してくれるエッセイストの文章はやはり絶品だ。
エッセイを書くにあたって、できるだけ語彙を増やしておくのはもちろんのこと、自分の感官を感じやすい状態にしておく、敏感にしておくというのは必要だろう。開かれた状態で種々の刺激を受け止め、手持ちの語彙の中から当てはまる言葉に対応させて記述していく。ただ、手持ちの語彙というのは必ずしも、そのときに頭にある必要はない。自分の本棚の中やメモなどの思考の断片にも眠っている。そのときに感じた言葉よりも、あとになって見つけた言葉や掘り出した言葉のほうが、より自分が感じたことに近かったり、うまく伝えられそうだと感じたのなら、遡行的に訂正していってもよいはずだ。
エッセイ、というかストーリーテリングに必要なのは正確さよりも喚起力だ。読者に対し、感動、共感、あるいは否定といった感情を喚起するのはもちろん、欠けた部分を想像で埋めたくなるような喚起力も発揮されているのがいいストーリーだとおもう。正しさは二の次でよい。僕らは役所仕事をしているわけでもなければ、歴史書を編纂しているわけでもない(というか歴史書なんて勝者側、体制側の主観が入りまくりだろう)し、またダイヤグラムに沿って物事を感じているわけではない。
先ほどの友人は僕のエッセイの書きぶりについて、「どこまでが本当でどこからが盛っているのか」と聞いてきたことがあるが、僕は返答に窮してしまった。もはや遡行的に訂正された出来事のほうが、僕にとっては「本当のこと」になってしまったから、どこからが本当でどこからが盛ったかなんて分けることができない。出来事に与える意味なんて、薄れゆく記憶に対して、思い返したときの気分によってどんどん上塗りされていくだけなのだから、そもそも「どこまでが本当か」など問う意味すらないようにおもえる。僕らは決して物事を「正しく」認識していない。
著者と読者はいわば共犯関係となってエッセイにコミットし、エピソードトークの盛り上げに資する。これでいいのだ。
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2026/04/18分
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参考文献
・東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン叢書











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